Archive for March 2008

26 March

始まりの桜

桜が咲いている。春だ。しかし新たな始まりという感じはまだない。あちらこちらで卒業式の様子などを眼にするからだろう。学校の門に立てかけてある「卒業式」の看板、花束をもった高校生、袴姿の女子大生、などなど。桜が咲いたとはいえ、3月は終わりの季節である。

そんな中、僕も8年間続けていた仕事が先日終わりをむかえた。高校受験を控えた男の子の面倒を見てくれないかと頼まれたのが8年前の12月のことだった。受験までわずか2ヶ月半くらいしか残っていない。けっこう無理な要求だ。

おまけに、彼は中学1年の夏休み明けから学校にまったく通っていない。いままで何人かの家庭教師を頼んだが、上手く行かないということだ。いつの頃からか、こういう話が僕のところに集まってくるようになった。決まったやり方が通用せず、それなりの労力を必要とするが、第三者からはたいして評価してもらえないような仕事だ。

一時的な仕事なのだろうと思っていたが、彼が高校に合格したあとも仕事は続いた。勉強を教えたり、人が生きることについて話し合ったり、世界の仕組みについて説明したりした。多少、学校を休むこともあったが、彼は無事に高校を卒業した。

彼には5つ違いの妹がいる。彼が中学3年のときに小学校4年生だった。初めて会った時の彼女の小さな姿は今でも覚えている。緊張しながらも好奇心いっぱいの表情で、僕を出迎えに玄関に出てきたのだ。おとなしくて、きちんとしていて、とても素直な女の子だった。勉強が多少苦手なほか、これといって問題のない子だ。

親は学校に上手く適合できない兄に多くの時間を割いている。どうしても妹にかける手間は少なくなる。親に愛情がないわけではない。妹には手間がかからないし、手間をかける時間もあまりない。それだけのことだ。

兄に勉強を教えているうちに、僕はだんだんとそんな妹の存在が気になり始めた。ちょっと顔を合わせれば声をかけたり、勉強の調子を尋ねるようにした。話の流れで、彼女にも勉強を教えることになった。コストがかけられないので、兄と妹を同時に教えることになった。兄に教えている時は妹は横で自習し、妹に教える時は兄が自習する。田舎の学校みたいだ。

そんなふうにして兄は高校を卒業し、彼女の勉強だけを見続けることになった。そして今年の春、めでたく彼女も大学に合格した。高校に入ってからは、月に2回のペースで彼女に勉強を教えた。1ヶ月に4時間である。その程度の時間だけ勉強しても成績は伸びない。だから受験のための細かいテクニックはほとんど教えなかった。さまざまな状況を生き抜けるためのシンプルな思考力、そして自分の人生を豊かにするための努力を伝えることに時間をかけた。

高校受験の時のことだ。2学期も半ばとなると志望校の絞り込みが現実的な話となる。彼女は日々すごく勉強していたが、まだ結果に結びついていなかった。僕や家族は彼女の努力を知っていたが、学校の担任にはそれは見えない。当然、担任は安全策を考える。

ある高校の推薦を受けないか、そういう提案が担任からあった。今の学力だと一般受験では困難だが推薦なら何とかなる、そういう話だ。彼女は二つ返事で「ノー」と言った、「自分は実力で受験をします」と。「ではどの高校に行きたいのか」と担任が尋ねた。彼女が行きたい高校。それはまさに担任が推薦してくれるといった高校であった。

良い担任だったのだろう。「ばかだなぁ」と言いながらも「頑張れと」応援してくれた。こういう愚直な人間を見るとできる限り力を貸したくなるのが人情である。もちろん本人も頑張った。そして見事に結果を出した。

少ない労力でより多くの利益を得る人が頭が良いとされる世の中である。その中で、あえてきつい道を選ぶなどというのは愚かな人間のやることである。しかし、何かを手に入れた時に得られる満足は、自分の努力に比例したものであるということを、私たちはどこかで知っている。だから愚かな人間が七転八倒なしがら何かを達成した時に私たちは感動するのだ。賢い人間が何の苦労もなく成功する話には誰も感動などしない。

彼女はこれから先もそういう生き方をしていくのだろうな、と思う。自分で大学を決め、自分でためたお金でアパートを借り、4月には新しい街で新しい生活を始める。新しい街は桜が満開だろう。始まりの桜の中を歩く彼女の姿を想像して少し嬉しくなる。

「いままで一緒に勉強が出来て楽しかったよ。ありがとう」そう言って手を差し出し、握手をする。彼女の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

彼女の日々に幸多きことを。
11:15:23 | tonbi | |

21 March

保育参加

先日、豚児(次男)の保育園に保育参加に行った。マラソン後の筋肉痛が残っていたので、多少心配ではあったが、思う存分、子どもたちと遊び、楽しむことが出来た。

保育参加とは何か。それは、保育園が親たちを決められた日に集め、子どもたちの成長を見せるといった会ではない。会どころか、全くの個人参加である。子どもと遊びたいのですが、と親から声をかけ、保育園側と日程を調整し、朝から昼ご飯まで子どもたちと一緒に過ごす。そんな感じである。

愚息(長男)が保育園に通っている時にも、何度か保育参加をした。先生たちと話をしたり、子どもたちと交流を深めたりと、かなり楽しい思いをした。そんなわけで、豚児の方にも保育参加をと思っていたのだが、年度がかわるぎりぎりになってやっと実行することが出来た。

豚児は現在、2歳児クラスである。(この時期にはほとんどの子どもが3歳)まだまだ幼いものである。いろんな子どもたちから「パパ」「パパ」と呼ばれる。「パパ、こっちに来てパズルをやろうよ」と誘われたり、「パパ、うわーっ」と言いながらタックルしてきたりする。その度に、内心「私はお前のパパではない」と思いながらも、ついつい笑顔で「おっ、機関車トーマスのパズルだ。いいねぇー。なんだ、出来ないの。じゃあ、やってあげる」と言いながら、取り上げて自分が楽しんだりする。

そうそう、子どもと遊ぶ時には重要なことがある。上手く子どもと遊べない人、これから子どもと遊ぶことになる人には参考になると思う。こういうことだ。自分が大人であることを忘れること。そして自分がいちばん楽しむことである。

大人であることを忘れること。何も子どもになれ、というのではない。比喩的な表現としては理解できるが、実際は無理である。大人が子どもになったら、けっこう不気味な姿が現れるはずである。大人であることを忘れるとは、上下関係をなくすということである。大人が上で子どもが下だという無自覚な構えを捨てることである。そうすると、子どもの方が自然と寄ってきて、対等に付き合ってくれる。砂で作ったカレーライスを用意してくれたり、一緒に走ろうと誘ってくれる。

大人はついつい、子どもにつき合うとか、子どもと遊んであげるという言い方をしてしまう。でも、実際は違うのかもしれない。子どもから選ばれた大人のみが、子どもと遊ぶことが出来るかもしれない。子どもは心が広いから、大人がそっけなくしていても、何度かは声をかけてくれる。でも、あまり無下にしていると、そのうち声がかからなくなる。子どもと対等に遊べる何かが無くなってしまったからだろう。

子どもと対等に遊べる何か。それは大人の中の子どもである。いい歳の大人が子どもと対等に遊べたり、思春期の孤独に共感したり、青年期の不器用な恋愛の物語に心を揺さぶられたりする。大人がそういうことが出来るのは、その人の中に子どもの自分、思春期の自分、青年期の自分が生きているからだろう。過去の出来事は通りすぎてしまったが、その時の自分は今もここにいるのである。

子どもと上手く遊べないのは、大人の自分が子どもの自分とはぐれてしまったからかもしれない。子どもの自分はどこかでじっと待っているかもしれない。あるいは泣きながらいまの自分を探しているかもしれない。自分の中の子どもを見失うほどに、人はその分、薄っぺらになる。子どものことを頭では理解できるが、一緒には楽しめないくらいに。

自分の子ども時代に問題があったので、親として子どもと上手く接することが出来ないという不幸な場合もあるだろう。しんどいことだと思うが、そういう大人こそ、子どもの頃の自分を探しだすべきなのだ。その子は大人にどうあって欲しかったのかを確実に知っているのだ。だから、その声をしっかりと聞き取って、それを子どもにしてあげれば良いのだ。

話は流れたが、子どもと遊ぶ時に大事なことの1つは、大人の自分を忘れることだ。

そしてもう1つ。自分がいちばん楽しむことである。これは簡単な話である。子どもと中途半端に遊ぼうとすると、すごく疲れるのだ。その上、子どもたちもどこか満足しきらない。自分は疲れるし、子どもは不満。おそらく親をやっていれば、誰でも経験があるはずだ。せっかく遊んだのに、それじゃあもったいない。だったら、徹底的に楽しんでしまったほうが得である。

結局のところ、子どもは遊んでもらいたいのではなく、一緒に楽しみたいのだと思う。語彙が少ないからそれを「遊んで」と言ってしまうのだろう。正確には「一緒に楽しもうよ」ということだろう。「一緒に楽しもう」か。そう書いて、それがきわめてまっとうな感覚であることに驚いている。

「一緒に楽しもうよ」。人と何かをする時に、発する言葉としてこれほど良い言葉はないかもしれない。自分の力の限り、出合う人と一緒に楽しもう、そう思いながら日々過ごすことで、人生も世界もけっこう楽しいものになるかもしれない。(相変わらず能天気である)

一緒に楽しめれば上手くいくけど、楽しめなければ上手くいかない。子どもと遊ぶとそういうことを思い出させてくれるし、考えさせてくれる。また、楽しい時を過ごしてしまった。



11:02:58 | tonbi | |

17 March

春の日のマラソン

一夜明けた。窓の外を見る。青空なのに富士山は見えない。春である。昨日も心地よい春の1日だった。そして、荒川市民マラソンである。

朝5時に起きる。木曜日の夜に引きかけた風邪が、わずかに残っている。とりあえず問題なさそうだが、もしかしたら後半に影響が出るかもしれない。安倍川餅をむしゃむしゃ食べながら、そんなことを考える。体重を量る。2kgほど増えている。風邪を押さえ込むために食べたので仕方がない。それでも、4kgの減量である。

ストレッチをしながら、ヘッドフォンで「ゆらゆら帝国」を大音量で聞く。細胞の1つ1つにやる気が満ちてくるのが感じられる。5kmごとの目標タイムを油性マジックで左腕に書き、何度も何度も頭の中にたたき込む。準備完了である。

自転車で土手沿いを上流に向かって走り、会場に到着する。何人かの知り合いと連絡を取ったり、挨拶をしたりする。登録を済ませ、着替えをし、荷物を預け、コースに並ぶ。スタートまで3分、心地よい緊張感だ。少しずつランナーたちが前に動きだす。

スタート。景気付けに、太鼓の演奏が始まる。(たしか太鼓だったはず)15000人以上が一斉に動き出そうとする。狭い土手である。スタートラインを越えるまでに6分ほどかかる。去年はスタートラインの横にかなりの集団がいて、力の限りゴスペルを歌っていた。前を通る時に、みんなが手を振るなど、ちょっとしたお祭り気分だっだ。

ところが今年は、静かなものである。活気がない。大会全般を通して応援も少なく、活気もなかった。国土交通省の道路特定財源からの予算が急遽カットされたからだそうだ。なるほど、あの応援のすごさは予算のなせる技なのか、そう思うと不思議な気がした。予算がついたから人が集まった。でも、応援している人たちの表情を見れば、予算とは関係なく応援していることは明らかだった。頑張っている人を応援する、それだけだ。

正直な印象、これなら地方都市で行われる手作りの大会の方がいいな、と思った。もちろん、地方の大会にもそれなりの予算はかかっているだろう。それでも、地域の人間が手作りで、自分たちに出来ることをする。そんな等身大の大会の方がいいなと思った。(荒川は初めてフルマラソンを走った大会で、その後、毎年参加しているのであまり悪口は言いたくない。きっと来年も走るだろう)

これは予算とは関係ないのかもしれないが、去年まではゴール後にくれたペットボトルの水が今年はなかった。それはいい。なにより許せないのは、楽しみにしていた「コアラのマーチ」が給水所になかったことだ。普段、ああいうお菓子は我慢しているので、マラソン大会の時だけは鷲掴みにして食べていたのに。非常に、残念であった。(家でそのことを細君に話したら、かわりに「きのこの山」をあげようか、と言われた。)

レース中は、自分の体の状態をチェックすることを心がけた。上半身や腕に力みは出ていないか。股関節から下だけで走っていないか。着地の瞬間、腰から背筋にかけてきちんと体重がのっているか。そして1kmごとにタイムを確認した。

僕の走りの特徴は、基本的にレースの最初も最後もイーブンペースというものだ。確か、マラソンの理想ペースは、最初のスピードに対して、最後のスピードが10%プラス以内であればよい、というものだったはずだ。スタート時が1km5分なら、ゴール時は5分30秒となる。

僕はとにかくイーブンペースである。経験的にその方がよいことを学んだのだ。自分でレースをコントロールできる(いや、レースじゃなくて、自分をコントロールできるのだ)。これにはおまけもついてきた。ずっと同じペースで走っているので、ゴールが近づくほど僕のスピードは他のランナーに比べて相対的に速くなるのである。つまり、ほとんどの人を抜きながら最後の数kmを走れるのである。もちろん、マラソンは人と競争するものではない。42.195kmも誰かと追いかけっこなど絶対したくない。プロのランナーとは違う。

それでも、ゴールまで400〜500mくらいで、となりを走っているランナーが、あからさまに張り合ってくると、勝負、という気になってしまう。こっちはイーブンペースで走れるほど力が残っているのである。最後の100mくらいダッシュで振り切ってしまえるのである。

そんな感じで、館山若潮マラソンの時のような物語性もなく、淡々と気合い十分でレースを走りきった。そしてゴール後には、コースを振り返り、感謝の気持ちを込めて一礼をする。

結果は、3時間47分くらい。途中、ストップウォッチの調子がおかしくなったので、正確なタイムは認定証待ちである。でも、とにかく目標の4時間は切った。人に誇れるような立派なタイムではないが、それでも自分では満足している。

でも、昨日の満足はそれだけではなかった。春を感じた。いや、自分が春で満たされた。レース後の帰り道、応援に来てくれた知り合いと合流し、まだまだ走ったり、歩いたりしている人を春の午後の日差しの中で眺めている。ビールを飲みながら談笑したり、ゆったりとした川の流れをぼんやり見たり、遠くから聞こえる鳥の鳴き声に意識が反応したり、聞き流したりしている。

最後尾に近いランナーが目の前を通りすぎるころ、さよなら、をして、また1人、土手を自転車でゆっくりと走る。海の方から暖かい南風が吹いてきて、柳の枝を揺らしている。よく見ると、柳の枝からは芽が出はじめ、枝全体が薄いきみどり色をしている。新生児の髪の毛のように軽くて柔らかで、生命力がある。傾きかけた太陽の光が川面を黄金色に染めている。きらきら、きらきらといつまでも光り輝いている。

ジョギングをしている人や、自転車の練習をしている子ども、散歩している老夫婦。ついさっきまで、一万人以上のランナーがマラソン大会をしていたことが嘘のようだ。おだやかで、満ち足りた春の日だ。かつてどこかにあった春であり、やがてどこかに訪れる春である。

そんな春でいっぱいになって、鼻歌交じりで、家路についたのであった。
16:24:54 | tonbi | |

13 March

マラソンの準備は完了

さて、3月13日の木曜日。荒川市民マラソンまであと3日。そして準備は整っている。今回は目標の4時間を切りたいものだ。目標達成のため、今回は2つのノルマを自分に課した。1つは2月10日から本番までに最低200km走ること。そしてもう1つは、体重を5kg落とすことだ。

距離の方は結果的には楽に達成できた。(結果的には楽だったが、途中はかなりきつかった。走る時間をひねり出すのが大変だった)特に先々週の日曜日には一度に3時間40分走るという、自分としては最長の練習を楽にこなせた。こういう練習ができるようになると、距離はかせげるものである。

問題は体重の方だった。これが思ったほど上手くいかなかった。結果的には上手くいったのだが、当初予定していたやり方とは違うものになった。適度に食事をコントロールして、きちんとランニングをしていれば5kgくらい落ちるかと思っていたのだが、誤算であった。

最初の1kg、2kgはきちんとランニングをして、間食をやめれば自然と落ちた。ところがぱたっと止まる。全く落ちなくなる。仕方がないので、次は食事のコントロールである。油ものや肉類を減らして、ご飯のお代わりもやめる。一口の量を半分にし、噛む回数を増やす。これでまた1kg位は落ちる。ところが、また止まってしまう。体重が落ちない。

さてさて、結局どうするか。食事の中身をコントロールするのではなく、食べることをやめるのである。ある時期から、1日の食事を1食半程度に減らした。例えば、朝は8枚切りのトーストを半分とサラダとベーコンエッグ、昼は軽くせんべいでもつまむ、そして夜はご飯を茶わんに半分とおかずを少々。こんな具合だ。

とにかくお腹がすいた。何度もふらふらになる。しかし、そんなことを続けていると、ある時から、その状態に慣れてくる。おそらく体の方が、こいつは本気で何も食べないつもりだ、ということに気付くのである。そして気付くと別のものをエネルギー源にするのである。お腹の周りについた脂肪である。

ある時から、食べていないことが平気になった。もちろんそれなりの空腹感はある。だが、平気なのである。体が大丈夫なのだ。口からエネルギーを取らなくても、脂肪からエネルギーを取るからだ。実際、それからは体重が信じられない早さで体重が減った。最大で6kgの減量である。今後、多少の上下はあっても、5kgの減量は達成できたといえるだろう。

そんなわけで、とにかく自分で課したノルマは達成した。あとは本番で野となれ山となれである。これで目標が達成できなければ、ノルマを達成した身体の責任ではなく、ノルマを設定した頭の責任である。現場はきちんと計画通りにやった。失敗の責任は計画を立てた経営者側にある。別の言い方をすれば、選手はきちんとやった。責任は監督やコーチにある。そんな感じである。

問題は、計画を立てたのも僕であり、計画通りにやったのも僕であることだ。仮に失敗すれば、僕はきちんとやったが、僕は間違っていたという分かりにくい話になる。(個人的には、そういう話は大好きである)そういう時は、暫定的に自分を身体と頭に分ける。すると身体の方は頑張ったのだが、頭の方がちょっとねー、という話になる。

これなら収まりがよい。身体は正しかったが、頭は間違っていた。反省的に過去を振り返ってみると、大抵の場合、間違っているのは「頭」の方である。体の方が「そりゃーまずいよ。やめといたほうがいいよ」と直観しているのに、頭の方はいろいろと屁理屈を言い始めるのである。自分に都合のよいことを頭が言い出したら、危険信号である。

事実、距離をかせぐために朝起きて走るのは辛かった。目が覚めて、走れない理由をもっともらしく言いだすのは「頭」の方である。昨日寝不足だから、とか、無理をして体調を崩したらひどいことになるから寝ちゃいなよ、とかいろいろ屁理屈を言いだす。だから、そういう屁理屈が出てきたら、とにかくストップさせる。そして身体にまかせる。そうすると、身体の方は頑張ってくれる。何も言わずにもくもくと動いてくれる。

頭が上手く働いている時は、自分の頭を疑っている時である。これも個人的な実感である。頭が自分の考えていることを肯定し始めた時は、大抵、問題を避けようとしている時が多い。そんなことをすると、あとでひどい目に遭う。これも個人的な実感である。そういう訳で、個人的には、大抵、頭よりも身体の感覚を優先している。

いずれにせよ、あとは本番を楽しむだけである。目標を達成できれば、素直に喜び。ダメなら、自分の頭の不具合さを再確認すればよいのである。少なくとも、やるだけやったといえる状態にはなっている。失敗しても、後悔することはないだろう。前向きに、何かを学べるはずである。

自分が何かを学べると実感できるのは幸せなことだ。自分に学ぶことがまだまだあると実感できるのは幸せなことだ。自分がまだ終わっていないと思えるからだ。自分にはまだまだ先があるのだ。先があるから、スタートラインに立つことが出来るのだ。スタートラインに立ち、そして42.195kmを走り切るのだ。

そして、そのゴールは新たなスタートラインとなる。
00:43:35 | tonbi | |

07 March

「濡れ衣事件」への返事

手紙、読みました。

大変でしたね。僕にも小学校1年生の息子がいます。愚息もいささかのんびりしたところがあります。他人事とは思えません。まあ、愚息がのんびりしているのは、僕自身が子どもの頃に愚鈍だったのを引き継いでいるようなので、長い目で見ていこうと思っています。手紙を読んでいて、僕が子どもの頃の出来事を思い出しました。

小学校の低学年の時です。クラスに勉強もスポーツも出来る人気の女の子がいました。冬の日です。小学生の分際で、女の子はきつねの毛皮のマフラーをしてきました。きつねの顔がついていて、口の部分がクリップになっているマフラーです。

当然、子供たちは集まります。その子の周りに集まり、きつねのマフラーを触ったりします。僕も輪の中に入り、しっぽのあたりをなでながらその感触を楽しんでいました。何人もの手がきつねのマフラーを掴んだり、触ったりしています。その時、誰かがその子の名前を呼びました。その子は、さっと、呼んだ人の方に振り返ります。

その瞬間。きつねのしっぽが「ぷつっ」と切れたのです。とっさに、みんながマフラーから手を離しました。落としてはいけないなと漠然と思いつつ、マフラーから手を離さずにいました。ちぎれたきつねのしっぽは手の中にあります。しーん、としていました。みんながこっちを見ています。その子は泣きそうな顔で僕と手の中のちぎれたしっぽを見ています。

僕はやっていない。でも、どう考えても犯人は僕です。僕自身も、こりゃー、俺だろうな、と思いました。気まずい感じのまま、その子に「はい」としっぽを渡しました。その日、両親は菓子折りを持ってその子の家に謝りに行きました。その間、僕は友達と遊んでいました。夕食時に両親から、そういう時はきちんと謝らなければならない、と言われました。正論です。切れたしっぽをぽーっと掴んでいたら犯人にされた。僕もそんな子どもでした。

「濡れ衣事件」ほどでないにしろ、これもちょっとした濡れ衣ですね。この手のことは案外多いのではないかと思っています。知り合いと話したら、「俺も高校のときにさぁ……」とか、「私も小学校4年生の時に……」など、すぐに似たような話が聞けました。

この世界はハードでタフな世界です。それは達成しなければならない課題がたくさんある、というようなことではありません。濡れ衣事件のような理不尽な出来事が次から次へと起こっている。それがハードでタフな世界ということです。

そんな世界を渡っていくために、頭も体も心も鍛えておかねばならないのだと思います。出来れば戦わなくてすむために、戦うのであれば勝つために、最悪でも刺し違えるために。

しかし、今回の事件で厄介なのは、明確な悪意がないままに濡れ衣事件になったことでしょう。まさか指導員たちも悪意をもって子どもを陥れることなどするはずがありません。おそらく、鍵がなくなったという事実があり、そこから自然に考えていったら、濡れ衣事件になっていたのでしょう。

鍵がなくなる。落とす可能性は低い。鍵をとれる可能性の子どもがいる。その子が犯人だと思える材料のみを積み上げていく。後は本人に白状させれば良い。いささかお粗末だとは思います。しかし悪意はなかったでしょう。それどころか、善意をもって、正しいことをしていたと思います。

これが厄介なのです。善意がひどい結果を引き起こしている。こういうとき、人は上手く反省が出来ません。反省しようとすると善意を否定することになるからです。それはある種の自己否定になってしまいます。だから、上手く反省できずに、再び善意をもってひどいことを行ってしまうのです。

濡れ衣事件を聞いて、心理学者のユングの言葉を思い出しました。「社会的であるということは、本人が思っている以上に悪を行っていることなのだ」。そんな内容の言葉です。まさに今回の事件はそれに当てはまるでしょう。善意がひどい結果を引き起こす。そういうことがこの世界には山のようにあるのです。そして善意が社会的か非社会的かと言われれば、あきらかに社会的なことです。

この考え方をずーっと引っ張っていけば、戦争中に主人や息子を戦地に送りだし、敵を殺すことに賛成することが、善意によって引き起こされると言えるのです。悪意からひどい結果が生じたのであれば対処は簡単です。悪意を否定すればよいのです。ところが善意だとそうは行きません。善意の否定は悪意の肯定になってしまうからです。

ではどうするか。これは、単純ですが困難な問いです。この世界には「複雑だが簡単な問い」と「単純だが困難な問い」が存在します。「複雑だが簡単な問い」は人に答えを教えてもらうことが出来ます。複雑さを説明してもらえば、シンプルで簡単な問題になるからです。しかし「単純だが困難な問い」は自分で考えて答えを出すしかないのです。

なぜなら、「単純だが困難な問い」とは、「生きるとはどういうことか?」「死んだらどうなるのか?」「宇宙の外側はどうなっているのか?」「本当に善いこととはどのようなことか?」などなど、人々が時代を超えて問うものです。問おうとして問えるものでもなく、人に問いを突きつけるようなものでもなく、問いに気付いてしまったら答えねば収まりがつかない、そんな類いの問いです。

こういう問いの答えは、人から聞いても納得できるものではありません。僕自身は、こういう問いに答えようと右往左往しているのが人生ではないかと思っています。

僕から言わせれば、今回の濡れ衣事件は、善意がひどい結果を生む、という問題です。そこから個々の問いが出てきます。指導員はなぜ善意がひどい結果を生むようなことをしてしまったのか。子どもはなぜ善意がひどい結果を生むような事件の犯人にされそうになったのか。あなたは何故、そのことに親として関わることになったのか。(どんどん膨らませます)

おそらく濡れ衣事件では、誰一人、主体的に物事を選び、それを意識的にコントロールしていないはずです。その意味で、この出来事は関わった人たちの意図を超えているのです。この場合の意図とは、自分の考えや自分に見えていることです。

「単純だが困難な問い」は自分で答えるしかない。その言葉に従うなら、僕はその問いを自分の問いとして引き受け、自分に答えることは可能です。他の人に役立つかどうかは分からない。でも僕にとっては答えである、そういう答えなら出せます。こういうものです。

自分の考えをたまには疑うことです。自分は決定的に間違っているのではないかと疑ってみることです。それともう1つ、自分が見ているもの、聞いていることをすべてだと思わないことです。「疑う」「思わない」というのは否定的な言い方です。気分が暗くなるので、ちょっと言い換えましょう。

自分が本当に求めているのことは何か、しっかり考えること。
世界が自分の思い込みより豊かであることに気付くまで、よく物事を観ること。




17:09:31 | tonbi | |