Archive for July 2008

30 July

日誌

いろいろあり、ブログを書けない日々が続いた。何となく消化不良である。とりあえず、仕切り直しのためこの1週間ばかりのことを簡単にメモしておく。

先週の火曜日(22日、だいぶ前のことだ)は、久しぶりに仕事帰りに品川からランニング。殺人的な蒸し暑さだった。滝のように汗が流れる。走力を鍛えるというより、体力を消耗しているだけ。夜景でも撮ろうと思い、デジカメを片手に走ったのだが、そんな余裕もなかった。東京タワーと皇居のお堀と本郷通り沿いの巨大な布袋様(2m30cmくらいかな)の写真を撮ったくらいである。2時間10分のランニング。


23日の水曜日。昼頃から徐々に体調が悪くなる。夕方には39℃の高熱。夏風邪から扁桃炎に一気に進んだようだ。早めに布団に入ってねてしまう。やたらと汗をかいたり、寒気で震えたり。

24日の木曜日。ひたすら眠る。20時間くらい眠る。夕方頃になりやっと熱が36℃台になる。よく寝たのでたくさん夢を見る。夢の中でいろいろな人と話しをする。しかし、夢の中のいろいろな人の主体性はどこに属するのだろう。僕の夢、そう考えればあらゆる登場人物の主体性は僕に属するはずである。しかし登場人物達は僕の意志とは関係なく好き勝手に振る舞う。自分が知らない自分、それがさまざまな登場人物の主体性となるのだろうか。そんなことを、うつらうつらしながら考える。何れにせよ、夢の世界は放っておいても話しが進むので楽である。

25日の金曜日。体調が良くなったので医者に行く。変な言い方だが、いつもそうである。一番体調の悪い時には医者に行く元気もない。服を着替える。医者まで歩く。待合室で待たされる。薬と支払いで待たされる。歩いて帰ってくる。そんな一連の出来事を考えただけで、ああ、もう少し元気になったら医者に行こう、いつもそう思ってしまう。「まだ熱が出るかもしれないよ」そう医者に言われる。明日から子供を海に連れて行くのです、とは言えなかった。夜、ボクサーの友だちに「別荘・海の家」の鍵を借りに行き、ついでにボクシングの練習につき合う。試合1週間前である。

26日の土曜日。今日から2泊3日で館山。朝、7時すぎ出発。ハイウェイオアシス富楽里で友人家族と待ち合わせる。昼頃から夕方まで海水浴。海の家も、音楽もない小さな浜辺。日差しは強く、空は青く、雲は白く、海はきらきらと輝いていてる。浜辺の焼けた砂が暑い。飛び跳ねるように波打ち際まで行く。毎年、毎年、同じ海である。もう15年以上も毎年来ている。

27日の日曜日。朝起きて、海で遊んで、スイカを食べて、ビールを飲んで、寝る。それだけだが、すごく満ち足りた1日である。


28日の月曜日。午前中は海で遊ぶ。海水浴と磯遊び。ここ数年、子供につき合っているうちに、磯遊びの面白さを覚えた。引き潮でできた磯の潮溜まりで、カニやらヤドカリやらハゼを捕まえるのだ。慣れてくると水の中の生き物が簡単に見つけられるようになる。生き物の動きを理解すると、けっこう簡単に捕まえられるようになる。面白くなってのめり込みすぎると、日焼けがひどいことになる。昼が近くなる辺りから、長男の顔が曇り始める。帰りたくないのだ。気持ちはよく分かる。楽しい日々の終わりの予感。これは哀しい。でもまだ夏休みは長い。これからだよ、と励ます。

29日の火曜日。昨日である。真っ黒な顔をして仕事の1日。雷の影響だろうか、夜の電車が遅れ家に着いたのが12時半過ぎ。



11:37:59 | tonbi | |

21 July

逢う魔が時

日曜日の午前中にデータを救出されたハードディスクが宅急便で届く。僕の相方の奥さんのコンピュータとバックアップ用の外付けハードディスクが同時に不具合を起こし、データがすべて読み込めなくなってしまった。驚くなかれ、ハードディスクには2人の子供の写真が保存されている。

長男の7年半の写真と次男の3年半の写真である。特に次男はデジカメでしか写真を撮っていない。データが駄目になれば生まれてから3歳半までの写真がすべて無くなる。背に腹はかえられない。高い料金を覚悟して業者に頼んだ。データは何とか復旧したが、予想通りすごい額の請求が来た。まいった。まいった。

そんな訳で、週末はチープに過ごす。今日は夕方、家族そろって土手に行く。もちろん僕と相方の奥さんのランニングを兼ねて。僕が14キロ、相方が5kmほど交代で走る。子どもたちは虫取りアミを振り回して、バッタを捕まえている。

日中もわりと涼しかったので、夕方の土手は心地よく走れた。6月から来年のウルトラマラソンに向け3000kmを目標に走り始めて、今日で300kmを超えた。10分の1である。日々の負荷はそれほどでもないが、1年続けるのはけっこうきつそうである。精神的なスタミナが要求されそうだ。

夕方6時を過ぎ、だんだんと日が沈む。土手には街灯がないので、少しずつ暗くなっていく様子を楽しめる。黄昏時、逢う魔が時である。黄昏時とは、夕暮れ時の薄暗がりの中、近くにいる人(=彼)が誰だか分からなくなる時間のことである。「誰そ彼は」という時である。

逢う魔が時も同じ時刻だ。かつては太陽の昇っている間が人間の時間で、夜は異界のものたちの時間であった。そして日が沈み、闇が来るまでの時間は、人間と異界のものたちが出会ってしまう時間であった。魔に逢う時である。そんな時間になると、山のお寺の鐘が鳴り、子どもたちは手をつないで帰ったのだ。

捕まえたバッタを逃がし、アカツメクサの花を少しばかり摘んで、逢う魔が時の土手を家族4人で家路に急ぐ。だんだんと薄暗くなる。「誰そ彼」時だ。顔の輪郭はぼやけていく。でも、そこにいるのが自分の家族だと、僕にははっきりと分かる。

       逢う魔が時

(ウルトラマラソン準備完了まであと2695km)
22:31:09 | tonbi | |

19 July

夏休み


きっと梅雨は明けているのだろう。小学校2年生の愚息が遊びから帰ってくるたびに黒くなっていく。とても良い感じで思いっきり遊んでいる。この間は、朝の10時過ぎに遊びに行ったきり、6時過ぎまで帰ってこなかった。昼にも帰ってこなかった。昼ご飯は友だちのお母さんの友だちの女の人(?)が食べさせてくれたという。最後は公園で1人、水風船を膨らませていたらしい。

その2日後の夕方には、近くの交番から電話がかかってきた。迷子になった愚息を保護しているから引き取りに来て欲しい、とのことだ。悪いことをせず、大きな怪我をしなければかまわない。できる限り思い切った遊びをすれば良い。多少の不安はあるが、ぐっと我慢するのも親のつとめである。

そして愚息は今日から夏休みだ。ついこの間、桜が咲いて春になったと思ったら、もう夏休みである。あっという間だ。また、暑い夏がやってきた。

子どもの頃、1学期はとても長く感じられた。4月の始まりには夏休みのことなんて思い浮かべることも出来なかった。1日、1週間、1ヶ月、少しずつ日が進み、長い時間をかけて、やっとのことで夏休みになった。夏休みになった時には、春のことなんかすっかり忘れていた。おそらく、愚息も春から夏にかけて、そういう時を過ごしてきたはずである。とても長い時間をかけてやっと夏休みになったのだ。

不思議なものだ。春から夏にかけて同じ時間を過ごしているのに、僕と愚息では違う長さの時を生きている。どちらかを基準に修正するというものでもあるまい。これから40日程度、どちらも同じ時間を過ごすのだが、僕にとってはあっという間の夏、愚息にとっては長い夏休みになるのだろう。

子供にとって夏休みが長いのは、初めて歩く道を長く感じるのと同じなのだと思う。初めて歩く道は長い。行きはすごく長く感じたのに、帰りは思ったほどではなかった。そういう経験は誰にでもあると思う。僕の考えでは、初めての道は情報量が多くその処理に負担がかかる。その負担が時間的な積み重ねと感じられ、それが距離感に置き換えられることで、長い道と感じられる。

つまり、新しい出来事に向かい合っている時は処理する情報が多い。そのため長い時を感じることになる。反対から見れば、慣れきったことを繰り返していると、あっという間に時が経ってしまうことになる。(退屈なことを繰り返すということではない)。何度も通った道は、何かに注意することなく、考え事をしながらでも歩ける。新たな情報もない。体力さえ問題なければ、長い道のりには感じない。

いつの頃からか、「また」という言葉をよく使うようになった。「また、夏が来た」「また、桜が咲いた」「また、秋の夕暮だ」「また、冬の匂いだ」。「また」といえるのは、すでに同じことを経験しているからだ。すでに歩き慣れた道のように。だから、何も目に留まらずに、いろいろなものが過ぎ去ってしまう。そしてあっという間だったと感じる。あっという間に、春が過ぎ去って、この夏になったように。

子どもの頃、「また、夏が来た」などとは思わなかった。ただ気がつけば、夏だった。世界は夏だったし、自分は夏の子どもだった。新しい夏、そんな言葉を思うこともない。ただその時の1回きりの夏を過ごしていた。夏が長いとか短いとか、そんなことを考える必要もなかった。何かを手に入れようと思うことなく、確実に夏を手にしていた。

愚息よ。生傷を作りながら、真っ黒になり、思いっきり夏休みを過ごせばいい。僕も力の限りそれについていこう。

(ウルトラマラソンの準備完了まであと2720km)



17:47:14 | tonbi | |

17 July

いちいち決心しないこと


『透明な力 不出世の武術家 佐川幸義』という本を読む。この本は大東流合気武術師範である佐川幸義氏のことを、門人の木村達雄という人が書いたものだ。なぜ読もうと思ったかというと、大東流合気武術の「合気」という言葉に引っかかったからだ。合気道をやっているのだから、無駄にはならないだろうと思って図書館から借りて、ぱらぱらと読んでみた。

僕がやっている合気道は植芝盛平という人が始めたものである。植芝盛平は1883年(明治16)に和歌山県田辺市の農家に生まれ、少年時代から武術に関心を持ち、やがて合気道を創始し、1969年(昭和44)に亡くなった。合気道を創始したとはいえ、全くのゼロから合気道を作り上げたわけではない。

植芝盛平の合気道に大きな影響を与えたのが、武田惣角の大東流合気柔術である。植芝盛平は30歳を過ぎてから武田惣角に入門し、その後、大本教の出口王仁三郎などと交流を持ち、やがて合気道を確立する。

この本の佐川幸義という人も、武田惣角の門人の1人である。父親が家の道場で惣角と稽古をしているのを、佐川幸義は10歳頃から見ていた。そして17歳で合気のコツを習得してしまう。そして95歳で他界するまでひたすら技を磨いたのである。

不出世の武術家とあるように、本の中には信じられないようなエピソードがちりばめられている。著者の木村氏が佐川さんのセーターを掴んだだけなのに、佐川さんかわずかに動いた瞬間に気がついたら倒されていた。とか、手をつかんだら離そうとしても離れなかった。とか、佐川さんのお腹を突いたら、当たった瞬間にふわっとした感触で次の瞬間には突いた時の形のまま後へ数メートル吹っ飛ばされていた。とかである。

とにかく、佐川さんはほとんど何もしていないのに、相手が倒されたり、吹っ飛ばされたり、そんな話しがたくさん出ている。にわかには信じ難い。自分ではそんなことは出来ないし、人がやっているのを見たこともない。だからといって、そんなのは門人が誇張して書いていることであり得ない話しだと言おうとも思わない。

自分には出来ないし見たことがないから、そのようなものはこの世界には存在しない。そう言うのはいささか傲慢な態度だろう。だからといって、自分には出来ないし見てもいないが、そういうすごいものがこの世界には存在する、そう言うのもいささか間抜けな態度だろう。こういう場合、とりあえず判断をペンディングしておくに限る。なるほど、自分にはそんなことは出来ないし見たこともないが、そういうことができると言われる人もいるのだ、と。

ペンディングしつつ、本の中の佐川さんの言葉を追いかけていく。そうすると、佐川さんが人間的に魅力のある人だということが分かってくる。そして、案外それくらいすごいことをやってしまう人かもしれないな、と思えてくる。同時に、そんな技が出来なくても武術家としてもすごい人だったに違いないと思えてくる。

佐川さんが繰り返し、繰り返し言っているのは単純だが重要なことだ。とにかく鍛練、努力をすること。努力をする時には、漫然とやるのではなく考えて工夫すること。分かるまではあきらめないで、寝ないで考え続けること。神秘的なことを言わないで、論理を発見すること。自分で努力して手に入れたものしか身に付かないから、教わろうと思わないこと。自分が分かっていることよりも、分かっていないことの方が多いから終わりのないこと。考え続ければ新しい考えが浮かぶことがあるので、忘れないようにすぐメモすること。などである。

武術の修行以外にも当てはまりそうなことである。何かを本気でやり続けた人が言う言葉である。超人的な技が本当でなくても、稽古に関してかなり考えていることは事実のようだ。時間をかけて作り込んでいる。そういうものからは学ぶべきことが多い。僕の経験的な事実である。とりあえず、佐川さんの言葉を2つほど引用してみる。

  『あんた(筆者、木村氏)も数学をいつも考え続けていると、もっと良い仕事ができるよ。いつもいつも考え続けることが秘訣だ。みんなうまくならないし、強くならないのは結局考えていないからだ。稽古と稽古の間ですっかり忘れているでしょう。その間でもずっと考え続けていれば良いんだけどね。生活と一体になっていなければならない。
 (木村氏「数学でも考え続けろとガウスとか偉大な数学者たちは言っていますね」)
 それだから、駄目なのだ。人がどう言ったとか人の真似ばかりしようという気持ちが駄目なのだ。やっていくのは自分自身なのだ。自分なりのものを会得して掴まなければならない。』

こういう意見を反射的に言えるというのはすごいことである。私たちは人からよい話を聞くと、自分もその話しを知っていることを相手に伝えようとする。伝えると大抵の場合、よくそのことを知っていたねと、相手は褒めてくれる。自分は褒められることで、相手は褒めることで、それぞれ自己満足する。お互いの自己満足を支え合うことで、お互いが心地よい関係を持とうとする。そういうものが人間の成長の邪魔であることがよく分かっているのである。

  『いちいち決心してからやるという人は精神力が弱いということだ。』

これを読んだ瞬間、ちょっと脱落して笑い出してしまった。やれやれ、僕のことではないか。たしかに精神力の弱さが自分の欠点であることはよく分かっている。なにせ怠け者である。精神力が弱いからすぐ怠けてしまうのである。怠けてばかりでは何ひとつ成し遂げられないぞ、そう思って、ここのところやたらと決心を乱発していた。そうしたらこんな言葉に出会ってしまった。

仏教の言葉に四苦八苦というのがある。その中の「怨憎会苦」とは、会いたくない人になぜか会ってしまうという苦しみである。会いたくない言葉に会ってしまった。「怨憎会句」かな。

そんなわけで一大決心した(ウルトラマラソン準備完了まであと2728km)。



01:31:10 | tonbi | |

13 July

歓喜踊躍


週末、真夏のようだった。真夏のように暑かったので、夕方、土手までランニングに行った。2日とも夕立に降られた。特に昨日は土砂降りだった。東京湾の方からねずみ色の雲が迫ってくる。ぽつっ。ぽつっ、と来る。大粒の雨が地面を濡らし出す。雨が体に当たり始めたと思ったら、あっという間にざーざーと大雨。

びしょ濡れになりながら走る。雨に打たれるってこういうことだっけ、と嬉しくなる。かつて雨に打たれた時の記憶が次から次へとよみがえる。雨がやんだことも気づかずに、そんな記憶と戯れながら薄ら笑いを浮かべて走っている。

向かいから来る人が怪訝そうな顔をしている。はっとして薄ら笑いを引っ込めて、正面を見て走る。正面にはきれいな虹が出ている。虹を見るのは本当に久しぶりだ。思わず、これまでに見た虹のことを思い出し、へらへらと薄ら笑いで走る。

向かいから人が来る。はっとして薄ら笑いを引っ込め、照れ隠しに地面を見ながら走る。地面には大きな水たまりが出来ている。風もなく水面は鏡のようにつるんとしている。よく見ると水面には入道雲がくっきりと映っている。そうか水たまりには空が映るんだった。初めて発見したような気分で、そのことを思い出した。そしてむかし見た、水たまりのことを思い出し、へらへらと薄ら笑いで走る。

おつむりが少し緩いのであろうか、結局、へらへらと薄ら笑いで走っている。へらへらと岩淵水門の辺りを走る。岩淵水門は荒川と隅田川の分岐の水門である。上流から見て左が荒川、右が隅田川となる。その隅田川にさらに右後方から新河岸川が合流する。

岩淵水門をちょっと下った隅田川沿いの土手に、オートキャンプ用のテントが張ってある。たぶん3年以上になる。最初はテントが1つだったが、横に小さなテントがもう1張。それに小さなテーブルとイス、そして洗濯物を干すためのロープも張ってある。そのうえ自転車も2台ある。誰かが暮らしているのだ。走るたびに気になるのだが、一度もテントの住人を見たことはない。

テントの前には釣り竿が川に向かって投げられている。餌をつけて投げておいて、当たりがあったら鈴が鳴るようにしてあるのだろう。狙っているのは多分「うなぎ」だ。岩淵水門近くの隅田川ではウナギを釣っている人がけっこういる。「江戸前」ということで、1匹1,000円くらいで業者が買い取ってくれるらしい。出前で昼食を頼み、一日中釣っている人もいるらしい。

あくまでも僕の想像だが、「うなぎ」はテント住人の主たる現金収入だろう。1日にウナギを数匹釣り、それを現金に換えて食材などを買う。それで3度の食費をまかなう。朝起きて、近場の水道に行き洗濯をしたり、体を洗ったりする。近くには野球練習場のトイレもある。生活に必要なものはすべてそろっている。ウナギが釣り竿の鈴を鳴らすまでは、テントの中でのんびりしていれば良い。

そんな生活を3年以上も続けている。いったいそれはどんな生活なのだろう。自分の生活とはあまりにかけ離れているような気がする。いや、一見かけ離れているようだが、実は全然かけ離れていないのかもしれない。月曜日から金曜日までは決まった時間に決まった場所に行き、日々の糧を得るための仕事をする。朝起きて家事をしたり、シャワーを浴びたりする。空いた時間にはランニングをしたり、合気道をしたり、本を読んだりしている。

中身はちょっとは違うが、やっていることはそれほど違わない気がする。どちらもお釈迦様の手の中の孫悟空みたいなものである。場面、場面では自分で何かを選択してきた。でも、選択が行われている大きな場所からは1度も出て行くことは出来ない。

自分で選んでいるようだが、大きな動きの中で行うちっぽけな人間の行為でしかない。ちっぽけな私が行うことにろくなことはない、だから大きな動きにすべてを委ねてしまおう。そう言ったのが「親鸞」だった。

「他力本願」という言葉は世間では全く誤解されている。自分の欲するものに対して自分では何の努力もせず、他人の力を頼ってそれを手に入れようとすること、そんなふうに理解されている。そうではない。まずもって「他力」の「他」とは「阿弥陀仏」のことである。つまり「他力」とは「阿弥陀仏の力」ということだ。

そして「阿弥陀仏の力」とは、どんな生き物でも「浄土」に往生させてしまう「力」である。「他力本願」とは、ちっぽけな私の力では「浄土」に往生することは出来ない。だからそんな私をすべて投げ捨てて、「阿弥陀仏の力」に絶対に「はい」と答えることで、自分の力では行けないようなとこるに行こうということなのだ。そこには「私の欲望」などというものは存在できない。

何らかの場面で私が何かを欲するとする。それが「阿弥陀仏の力」にそぐわないものなら、私は自らの欲を捨てて、阿弥陀仏の命令に随わねばならない。四の五の言わずに「はい」と言わねばならない。それが「他力本願」である。

親鸞の思想がすごいのは「阿弥陀仏」を「宇宙に存在しているすべての出来事、宇宙に顕れているすべての出来事」としていることだ。つまり「他力本願」とは、私の欲を捨て、すべての出来事をそのまま受け入れることに生きる活路を見いだすという腹を括った生き方なのだ。すべての出来事をそのまま受け入れず、自分の欲を求めるから人は苦しむのだ、そう親鸞は言っているのである。自分の欲を捨てて、すべてを阿弥陀仏に委せてしまえば、自分の力では決して行けないようなところに行くことが出来るのだ、と。

テントの住人、そして僕自身。どちらも自分で選びながらここまで来たはずである。自分の欲に突き動かされてここまで来たのか、阿弥陀仏に委ねてここまで来たのか。親鸞に言わせれば、欲に動かされてきたのであれば、そこには「苦」がある。阿弥陀に随ってきたのであれば、そこには「歓喜踊躍」がある。「歓喜踊躍」、嬉しくって、嬉しくって、踊り出すことである。

踊る。踊る。音楽に合わせて踊る。嬉しくなくても、とりあえず踊ろう。『ダンス・ダンス・ダンス』にもこうある。

「でも踊るしかないんだよ」と羊男は続けた。「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」。

耳を澄ましてみる。どんな音楽が聞こえるだろうか。

(ウルトラマラソン準備完了まであと2744km)





20:45:13 | tonbi | |