Archive for January 2009

26 January

若潮マラソン

昨日は「館山若潮マラソン」。結果から先に報告する。3時間42分。去年の若潮マラソンより25分ほどタイムを縮め、昨年末の筑波マラソンより13分タイムを縮めた。3回続けて4時間を切ったので「一人前の市民ランナー」と言えるだろう。そして何より、自己ペストである。悪くない結果である。

夜中、何度か目が覚め、結局、5時半に起きる。いつものことだが神経が高ぶって目覚まし時計が鳴る前に目が覚めてしまう。6時近くまで布団の中でレースのことをいろいろ想像する。東の空が端の方から少しずつ明るくなってくる。昨日の雨が嘘のような晴れた星空だ。家族を起こさないようにそうっと起き、外に出てみる。寒い。そして少しばかり風がつよい。

海沿いを向かい風で走るのはイヤだな。一瞬そう思うが、走り出してしまえば自分が状況に合わせるしかないと思い直す。当たり前のことだが、状況は決して自分に合わせてくれない、自分が状況に合わせるのだ。マラソンを走るようになってから、そういう当たり前のことをたくさん学んだ。(一歩ずつしか前に進めない、とか、きちんと続けていればいずれかたちになる、とか、戦う相手は自分なのだ、とか)

午前9時55分。スタートまであと5分。少しずつ緊張感が高まってくる。どのレースでも同じように心が動かされるときがある。スタート直前の緊張感、スタートと同時にどこからともなく始まる拍手、みんなが自分の世界に入り足音だけが響き、その響きがかえって静かさを感じさせる10km辺り、だんだんと自分が何をやっているのか分からなくなる35km過ぎ、そしてゴールの瞬間。こういう時にちょっとだけ心が動く。そういうとき今のレースが他のレースと区別がつかなくなったりする。

風の影響はそれほどなかった。時おり正面から強めの風が吹いたくらいだ。空の青さは、空が青かったことに気づかされたときくらい青く、海の向こうには雪をかぶった大きな富士山がどーんとしている。見事な富士山である。そう言えば去年も富士山を見ながら走ったのだな、と思い出した、こんなきれいな富士山を見ながら走れるなんてよいコースだと。でも目にするまで富士山のことは全く忘れていた。(来年もまた富士山に驚くのかもしれない)

富士山とは反対に走っている状況はよく覚えていた。10km付近のアップダウンでやたらと手首をぶらぶらさせながら走っていた日焼けした脂っこい中年男性や、20km近くまで僕と同じペースで走っていたオレンジの帽子をかぶった男(ゼッケンの他に背中に「目標3時間45分」という布をつけて、道端の老人に気前よく声をかけていた)。そういったことが場所に結びつくようにして思い出される。

とは言え、去年に比べて距離が短く感じられるようになった。10kmはあっという間だし、20kmを過ぎてもついさっきスタートしたばかりのような感じがする。25kmを過ぎたあたりから少しずつ脚が重くなり、呼吸も乱れてくる。この辺りからが勝負だ。走りながら、全身の筋肉の強張りをほぐし、呼吸を調える。何度も何度も繰り返す。

そのおかげか、ほぼイーブンペースで走ることができた。前半は1時間48分、後半は1時間54分、コースのアップダウンを考えると、後半のプラス6分は実質的にはほぼゼロである。イーブンペースというのは僕のランニングの特徴である。普通は後半になると(特に30kmを過ぎると)ペースが落ちてくるものだ。だから僕は後半、ほとんど人を抜いて走ることになる。(別に人と競争しているつもりではないが、それでも抜かれるよりは抜いて走った方が気分がちょっとだけよい。)今回もどんどんと抜いていく。

37kmを過ぎたあたりで、周りと同じペースになる。ついに脚が上がらなくなってきて、心臓が痛くなったくる。去年あせって肉離れを起こしたのが38km地点である。無理をすると2年続けて同じ場所で地面に跪くことになりそうなので周りと同じペースを維持し、そのまま40kmくらいまで走る。

残りわずか。すごく疲れているし、肉離れの兆候も出ているのだが、何も考えずに精神を集中する。そして呼吸も体も自然の動きに委せる。すると突然スピードが上がり始める。周りのランナーをどんどんと抜いていく。そのまま2km近く走る。そしてゴールが近くなる。街の人や、すでにゴールしたランナーや、地元の高校生達が拍手をしながら、大きな声で励ましてくれる。どんどん、スピードを上げる。応援してくれるみんなに手を振りながら、あるいはハイタッチをしながら、風のように走る。そしてゴール会場へ入る。

会場に入ると、最後の100メートルくらいの直線だ。でもコースにはランナーが誰もいない。僕しかいない。たまたまランナーが途切れているようだ。コースの左右ではみんなが応援してくれる、もう少しだ、がんばれ、もう少しだ、がんばれと。気持ちがいっぱいになる。その瞬間、もう一段階スピードを上げる。一歩、一歩、スピードが上がるように、大地をしっかりと蹴って、腕を大きく振って、できる限りの力で走る。空を見上げながらゴールを駆け抜ける。そしてコースを振り返り、帽子をとって感謝を込めて一礼をする。

自分の時計でタイムは3時間41分26秒。満足のいく走りだ。多少、心が動いた。でも今回のマラソンで一番感動したのは自分の走りではない。コース途中の出来事だ。36kmくらいのところで、50代前半くらいの男性に抜かれた。紺のショートパンツに灰色の長袖ランニングシャツ。白髪の混じった短めの髪で、よく日焼けしている。身長は170センチちょっとくらい、贅肉はついていない。賢そうで、それでいて柔らかい表情をしている。

軽やかなランニングだ。周りのランナーに吸収されていない。輪郭もくっきりしている。何より、36kmすぎで柔和な表情ができているのだから大したものだ。僕はちょうどペースが落ちぎみになっていたので、あとに着いていくことにした。コース左側の歩道では人々が10メートルおきぐらいに応援をしている。3歳くらいの子どもが1人で地面で何かをしているのが目に入る。そのまま走り抜ける。

何か変だ。何か違和感を感じる。何かが引っかかる。そう、子どもは右目がつぶれているようであった。そして右手で地面を手探りしていた。何かを探しているようだった。そして1人だった。もしかして、目が見えない子どもが1人で困っていたのではないか。そう判断するのに2秒とかからなかった。

まずいと思った。瞬間。その男性が振り返って子どもの処に走っていった。お父さんや、お母さんは、だいじょうぶなの、といったことを話しかけている。僕も振り返りながら、何かあったらすぐ行こうと思い見ている。(でも駆けつけようとはしない)。結局、親がいたようでその男性もすぐに走り出した。そしてしばらくして僕の横を軽やかに走り抜けていった。

頭をガツンとやられた気がした。おそらく彼がいなければ、子どもを気にしながらも僕はそのまま走り続け、10秒もたてば子どものことなど忘れてしまっただろう。そして自分の目標に向け全力で走っただろう。自分が大切な何かを見落としたことことに気づかないまま、好タイムの達成感を味わっていただろう。走りながらすごく反省した。自分は何か間違えた順番づけをしていたのではないかと。それと同時にすごく感動した。レース終盤の状況でも大切なことを見失わずに、きちんと行動できる人を目の当たりにできたことを。

フルマラソンを思い通りに走るのは楽なことではない。しっかりとした目標を立て、きちんとしたトレーニングを継続的に行わなければなならない。少なくとも僕にとってはそうだ。かけた時間の分、本番では真剣にならざるを得ない。真剣になれば周りが目に入らなくなることもある。満足のいく結果を出したくなる。

でもよく考えれば、僕は職業的なランナーというわけではないのだ。目標を立てしっかりと継続的にトレーニングをし、本番ではしっかりと走る。それでも必要とあらば、ためらうことなく走ることを二の次にできる自在さを持ちたいものだ。そういう自在さを手に入れるためにきついランニングを続けていくのなら、そこには確かな手応えがあるに違いない。



20:51:06 | tonbi | |

24 January

行ってきます

これからゆっくりと眠り、目が覚めたら家族で館山に向け出発だ。日曜日は「館山若潮マラソン」。早いものだ。あれからもう1年になる。本気でサブフォー(4時間を切ること)を目指した初めてのレースだった。サブフォーぎりぎりのタイムであと5kmくらいのところまで来て肉離れを起こし、転ぶようにして道に倒れ込み、結局、4時間を切れなかった。

あれから1年が過ぎたのだ。早いものである。今回の目標はすべてを使い果たさずに4時間を切ることだ。サブフォーという意味では去年と同じ目標だ。去年達成できなかったことを、今年こそは達成しようというわけだ。世間ではこういう時、「リベンジ」という言い方をするのだろうか。

でも「リベンジ」などという気持ちは全くない。いったい誰に何を「復讐」しようというのか。確かに去年のレースは目標に達しなかった。それでも、あんなに自分が満たされたこともなかった。正面から全力でトライし、そして見事に達成できなかった。心地よい負けだった。気分は大宰の『黄金風景』である。

『一般的なランナーの多くは「今回はこれくらいのタイムで走ろう」とあらかじめ個人的な目標を決めてレースに挑む。そのタイム内で走ることができれば、彼/彼女は「何かを達成した」ということになるし、もし走れなければ、「何かが達成できなかった」ことになる。もしタイム内で走れなかったとしても、やれる限りのことはやったという満足感なり、次につながっていくポジティブな手応えがあれば、また何かしらの大きな発見のようなものがあれば、たぶんそれはひとつの達成になるだろう。言い換えれば、走り終えて自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。』

村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』からの引用である。結局、「誇りに似たもの」あるいは「生きている手応え」のようなものを求めて僕は走っているのだと思う。そういった「手応え」を走るという非生産的なものによってしか手に入れられないのは不器用だなと思う。

フルマラソンで納得するためには、レースに備えてどれだけ地道なトレーニングができるかだ。実際、少ない持ち時間のかなりの部分をトレーニングに割くことになる。時おり走りながら、こんなことをしていて自分は大丈夫なのだろうか、と本気で不安になることがある。将来のことを考えてもっと生産的なことに注力すべきではないのか、と。でもそんな「迷い」を文字通り走りながら振り切る。振り切ることで、「手応え」のようなものを手に入れることができる。

何れにせよ、日曜日にはフルマラソンを走ることになる。そして、上手くいけば村上春樹と一緒に走れるかもしれない。村上春樹は「館山若潮マラソン」に過去、何度も参加している。去年も期待していたのだが、参加していなかった。参加の確率は去年より高くなっているはずである。さらに、村上春樹がタイムを落とし、僕が良いタイムで走れば、ほぼ同じくらいのタイムでゴールすることになる。ゴール前でのデッドヒートを妄想すると何だかワクワクしてくる。

では、一眠りして、行ってきます。



00:27:08 | tonbi | |

22 January

ありふれた奇跡


久しぶりにドラマを見る。山田太一脚本の『ありふれた奇跡』だ。ふだんはほとんどテレビは見ないが、かつて『ふぞろいの林檎たち』を見て胸を痛めたりしていた人間である。山田太一が最後の連続ドラマと言うのだから見ないわけにはいかない。

山田太一のドラマでは役者がいつも同じような話し方をしている。今回も見るなり、山田太一のドラマだなと思った。役者の話し方に何となく違和感を覚えるのだ。この感じはどこかで味わったことがあるなと思いちょっと考えたら、芝居を観ているときの違和感とだった。

『ありふれた奇跡』でも、仲間由紀恵と加瀬亮の2人がたまたま出会い、違和感のある会話を展開する。具体的に言うと、お互いが相手を「そちら」とか「そっち」とかいう言い方で呼びあっていることだ。知りあってしばらく会話を続けているにも関わらず、お互いが自分の名前を相手に明かさないし、尋ねもしない。別に隠しているということでもない。知らないのが当たり前のように、お互いが「そちら」とか「そっち」と言っている。

これはある種の「遠さ」や「不安定さ」の表現なのだろう。名前を知る(あるいは名前を付ける)というのは、相手を分かった気になれるもっとも手っ取り早い方法である。私たちは何か(誰か)が分からないとき、「それは何て言うの」とか「何て言う人なの」ととりあえず名前を尋ねる。そして名前が分かると、中身はよく分かっていなくても安心できるものである。だから名前ではなく、「そちら」とか「そっち」とか言いあっているのは「遠さ」や「不安定さ」の表れである。

しかし同時に、不思議な形で「近さ」や「繋がり」を表現している。それは普通なら1人のセリフになるものを、2人がばらばらにしにて、交互に話すというものである。「そうそう、おじいさんがそこで車を間違えて、違うおばあさんを家に連れた帰った」というようなセンテンスがあるとする。本来ならそれはひとりの人間のセリフである。

それを、男「そうそう」、女「おじいさんが」、男「そこで車を間違えて」、女「違うおばあさんを家につれて帰った」というようにセリフを作るのである。多少、ぎくしゃくしながらも基本的には滑らかな感じをさせながら。ここからは明らかに「近さ」や「繋がり」が感じられる。

このような会話を日常生活ですることはまずない。お互いを「そちら」とか「そっち」と呼びあいながら、1つのセンテンスを2人で交互に発話しながら作り上げるなどということはない。まずは名前を尋ねあい、それぞれが自分の言いたいことを一気に話すというのが一般的な会話である。なんで山田太一はこんなことをするのだろう。

もしかしたら彼なりのコミュニケーションのあり方というものを提示しているのかもしれない、そう思った。コミュニケーションで大切なのは、相手の名前を知ったことにより相手を分かった気になり自分の意見をべらべらと言い立てることではなく、相手との不安定な関係をつねに意識しながらも、2人で1つの文を滞りなく作り出せることなのだ、そういうことを示したいのではないか。

そんなことを思っていたら、眼科の待合室での年寄り同士の会話を思い出した。もう7,8年も前のことだが、ちょっとしたケガをして眼科にかかった。やたらと混んでいて、診察してもらうのに1時間くらい待たされた。待合室にはお年寄りがたくさんいて、話しをしながら順番を待っている。何をそんなに話すことがあるのかと聞いてると、見事に会話がかみ合っていない。

A「うちの猫がこの間からしばらく帰ってこなくて、こまっているのよ」
B「そうなの。うちも孫が猫を拾ってきて飼いたい、飼いたいというのだけど、団地だし」
A「その猫は山本さんのところから1年前に貰ったんだけど、すぐ病気になってね。獣医さんに見せに行ったら、2万円もとられたのよ」
B「2万円も。まあ、猫はトイレの臭いもきついし、それにさかりがつくとうるさいからって言ってるんだけど、息子が甘くてね」
A「でも、ちかごろは獣医さんになりたい人が多いみたいね」
(こんな感じでどちらかが名前を呼ばれるまでエンドレスに続く)

その時は、よく会話がつづくものだな、とあきれると同時に感心した。お互いに相手の話の内容に注意していないことは明らかである。にもかかわらず、2人のやり取りは極めてスムーズだ。そして会話がそのように進むことで、お互いにとても心地よくしている。何らかの安心感を得て、お互いに家に帰っていく。この会話のスムーズさは、山田太一のセリフの拡大版のように見えなくもない。重視されているのは内容ではなく、2人で滞りなく会話を作り上げていくことである。

とかくビジネス的な枠組みでものごとを見ていく風潮がある。そこでは、私たちは言いたいことをきちんと整理して、それをなるべく簡潔に伝えることがよしとされている。ビジネスでそれが必要なのは分かる。しかし日常の会話でもそういう効率の良さのようなものが要求されている気がする。

効率良く最低限の言葉で相互に意見を伝えることと、内容はどうでもよく2人が滞ることなく長々と話しを続けていくこと。この2つは言葉のやり取りにおいては対極に位置する。利益のための効率的なコミュニケーションは前者であろう。しかしそのようなやり取りだけでは、誰かと繋がっているという感覚や安心感は持てないのではないか。

他者と繋がっているという感覚や安心感を得るためには、1つのセリフを2人で作り上げられるような技術が必要なのかもしれない。この技術のポイントは自分が何を言いたいかではなく、相手が何を話しているのかに注意深く耳を傾け、それに合わせて自分の言葉を紡いでいくというものである。話を良く聞くためには、相手のことを自分は理解できていないかもしれないと思うことである。

山田太一が、「そちら」とか「そっち」とか言い合う不安定な関係の2人に1つのセリフを語らせているのは、コミュニケーションにおいて何が重要かを示そうとしているからかもしれない。



00:55:38 | tonbi | |

18 January

とりあえずエントリー

曇り空の日曜日。それとは関係ないが1週間を振り返ってみる。時間に追われるように日々を過ごしていると、あっという間に1週間が過ぎる。月曜日だと思ったら、あっという間に金曜日の夜。そして土日をだらーっとしていると(あるいは憑かれたようにランニングをしていると)月曜日になり、気がついたらまた週末というわけだ。竜宮城の宴会がない浦島太郎みたいなものである。

浦島太郎といえば、今日、眉毛に白髪を1本見つける。数カ月前にも、もみ上げに1本。その数カ月前にはあごの辺りに1本。別に増えている感じはない。3本きりである。増えていないから安心かというと反対である。増えて欲しい。白髪に増えてほしいのである。

父方の男性親族はみな、加齢とともに頭頂部から髪が薄くなり、最後には落ち武者のようになる。その事実に気づいてから、自分もいずれはああなるのかと恐怖したものである。いさぎよく坊主頭にするという選択肢も考えたのだが、何せ頭の形が悪い。坊主頭にすれば肉ばっかり食って、酒をがぶがぶ飲んでいる荒くれ坊主のようになりそうである。そんな恐怖におびえていたら、ついに白髪を発見したのである。ちょっとした喜びである。いずれ頭全体が白髪になるであろうか、あるいは落ち武者のようになるのであろうか。まだまだ予断を許さない。

水曜日についに「サロマ湖ウルトラマラソン」にエントリーをした。参加することは決めていたが、実際にエントリーするときにはちょっとドキドキした。これで本当に走ることになるのだ。自分に出来るだろうか。実際には見たこともないコースを走る自分の姿が頭に浮かぶ。楽しそうに走っていたり、とても辛そうにしていたり、何とかゴールをして喜んでいる自分の姿が。その映像に合わせて、気持ちも揺れ動く。楽しかったり、苦しかったり、嬉しかったり。ウルトラマランソで自分がいっぱいになり、ドキドキする。

想像はやめて練習だ。そう思ったら、木曜日の合気道の稽古で軽い肉離れになる。とにかく肉離れになりやすい体質である。ちょっと無理をするとすぐに肉離れになる。さいわいすごく軽いものなので、ケアすればすぐに軽く走れる程度になる。そんな訳で金曜日、土曜日とトレーニングは中止、接骨院に行き治療をする。

そして今日。小2の長男と一緒に土手までランニングに行く。往復13km。息子は自転車で付いてくる。土手では小さなマラソン大会が開かれていた。フルを苦しそうに走っている人たちの姿を見ると、来週の若潮マラソンの自分の苦しさが想像されて、ちょっとイヤな気分になった。気分を紛らすため、息子と話しながら走る。自転車とはいえ冬の寒空の下の13kmは応えるようだ。息子は家に着く頃には少しぼーっとして、赤信号を見落として交差点に突っ込みそうになっていた。

先週の金曜日にとても気になるニュースがあった。「元派遣社員、マンションで死亡・餓死の可能性」というものだ。大阪市住吉区のマンションの一室で49歳の男性が死亡しているのを、滞納している家賃の件で訪れたマンション管理会社の従業員が発見した。男性の所持金は90円、冷蔵庫の中は空っぽで、胃にもほとんど食べ物がなかった。

重いニュースである。もちろん、これまでも餓死で死亡したという新聞報道を目にした記憶はある。また報道されることはないが、おそらく多くのホームレス達が冬の路上で凍死に近い状態で死んでいるに違いない。にもかかわらずこのニュースは気になる。理由は明らかである。死亡した男性の肩書きが「元派遣社員」となっているからだ。

働くことを希望している多くの派遣労働者が解雇され、住むところもなくしていることは、年末からの報道でよく知られている。働きたいと思っている人間が餓死をした。これは社会的にも大きな出来事である。働く意志があっても餓死してしまう。そのような状況がこの社会の(全体とは言わないまでも)一部として組み込まれてしまったのだから。

もちろんこの男性が体調不良を理由に自ら契約更新を断っていたという報道もある。しかしそのことは男性が自ら進んで餓死を選択したことを意味しない。体調不良の人間と喜んで契約更新をするような企業がない限り、ほとんどのケースで自主的に契約更新を断るようなことになってしまうのではないだろうか。

派遣労働に自らの収入をたよって生活を成り立たせることが今の社会で異常なことでないならば、そのような人たちが病気になったときに餓死にいたることもそれほど異常なことではないということになる。私たちの社会はそのようなものになってしまったのだ。

生活保護を受けるなどの諸制度について本人が知らず、利用しなかったことが原因かもしれない。そういう意見もあるだろう。そのような意見を述べることできる人間は、自らがどのような状況にあっても冷静に理性的な判断ができる人間か、人間についてまともに考えたことがない人間かのどちらかである。制度的には問題なかったのかもしれない。しかし実際には機能しなかった。こういうとき、実際に機能しない制度というものが(運用面も含めて)問題のない制度だと言えるのだろうか。

(大きな声では言わないだろうが)たった1人の餓死者じゃないかという意見もあるかもしれない。たしかに1人かもしれない。しかし今回の出来事は今後に続く同様の出来事の前兆ではないか。3月にはより多くの派遣労働者の契約期間が切れるという。その時、職をなくし、住むところをなくし、食べ物をなくした人間が街にあふれるのかもしれない。その中から餓死する人間が何人も出てくるかもしれない。

先週の水曜日に渋谷の連絡通路を歩いていたら、いつも若者が座っている場所に、ホームレスではないが、多くの荷物を両手に持ったかなりくたびれた人たちが座っていた。ああ、状況が少し変わってきたなと思った。だんだんと人目に付くようになってきた。それがあるポイントを超えたとき、それは彼らの問題ではなく、私たちの問題になる。私たちの問題になったとき、やっと私たちはその問題の解決方法を探り出す。(だから解決を考えるなら、本当は早く私たちの問題にしてしまった方が良いのだ。)そして金曜日にこのニュースである。積み重なっていく。

1週間を振り返っていたら思わぬとこまで話が進んだ。餓死についてはここまで考えていたわけではない。何となくイヤなニュースだと思い、もしかしたら転換点になる象徴的な出来事かもしれないなと思った程度だ。1週間を振り返るなどということをしなければ、記憶の辺土に埋もれていたかもしれない。言葉にして初めて自分が何を考えていたのか分かることもある。

ウルトラマラソンにエントリーしてドキドキしている。そのほぼ同じときに餓死という出来事を知り「まずいな」と思う。こういう相反する出来事が同時に起こっているのが世界であり、そういう相反する思いを同時に抱えながらも生きているのが人間である。そしてそのことを不思議だと思いながら、明日もとりあえず同じような1日を過ごそうとする。とりあえず、来週の館山若潮マラソンを目指して。いやはや摩訶不思議である。
20:27:11 | tonbi | |

15 January

かさじぞう

近ごろの小学生は宿題が多い。教科書の音読とプリント1枚(表は国語、裏は算数)は毎日必ず宿題だし、日によってはさらに別の宿題もある。基礎的な学習の量を増やすことで、子どもの学力を伸ばそうということなのだろう。ただ、音読には少し疑問を感じる。

当然のことだが、子どもは教科書を楽しそうには読まない。だらだらとイヤそうに小さな声で読んだり、やたらと早口で一本調子で読んだりする。声を出して読むということと、内容を理解するということが切り離されているような印象を受ける。まあ、子どもからすれば読みたくもないものを読まされているという感じが強いのだろう。

小学校に入る前に読み聞かせをしてもらったことが少ない子どもほど、音読は苦痛ではなかろうか。本を読んでもらうことが心地よい経験として記憶されていれば、自分が読む側にまわることもそれほど苦痛ではないだろう。しかし本を読んでもらったことがない子どもにとって、音読とは苦役でしかないかもしれない。

それでも音読の宿題は毎日ある。子どもも飽きてくる。そんなとき、僕が教科書を音読をする。それを注意深く聞かせ、宿題の代わりにすることがある。こちら側が楽しそうに読むと、子どもの目が輝いてくる。話しの内容にも食いついてくるし、1つ1つの言葉の意味の確認なども楽しそうにやっている。何より、時間を気にせずに聞いている。感覚的には遊びになっているのだ。

先日も僕が教科書を音読した。「かさじぞう」である。大晦日、貧乏な老夫婦には新年を祝うモチもない。そこで2人で傘を5つほど作る。おじいさんが市場で傘を売り、それでモチを買ってこようというのだ。誰も買わない。夕暮、家に帰る途中、吹雪となる。道端には6体の地蔵。雪をかぶって寒そうにしている。おじいさんは5体の地蔵に傘をかぶせてやり、残りの1体には自分が頭に巻いていた手ぬぐいをかぶせてやる。家に帰りおばあさんにその話しをする。おばあさんは、それはよいことをしましたね、という。夜中、ソリの音がする。ソリは家の前で止まり、何やら荷物を下ろしていく。ドアを開けるとそこには米俵や野菜が山のように置いてある。そしてむこうには、去っていく6体の地蔵の姿が見える。

「かさじぞう」を読んだのは久しぶりだ。そしてちょっと考えてしまった。小学生にこの話しを読ませる意図は何なのだろうか。あるいは小学生はこの話しをどのように受け取るのだろうか。読ませる側は、日本の昔話を読ませること自体に意義を感じているのだろう。昔の人の暮らし、おじいさんの立派な人間性、神仏の功徳、良いことをすれば良いことが帰ってくる、などを通して日本らしさを伝えようとしているのだろう。

読む小学生の方はどうだろう。都会の子どもに限って言えば、地蔵などが生活の表層に現れることはほとんどないし、神仏の功徳などもほとんど意識することもないだろう。実感として最も功徳(と言うのか?)を与えてくれるのはサンタクロースに違いない。おまけに昨今の学校教育が目指すものは、基本的にはこの資本主義社会の中で勝ち残れる知識であり技術の習得である。

かつてのように立派な人間になるために勉強するというかたちで、子どもを勉強に誘うことはまずない。これだけ勉強をすればこれだけのリターンが手に入りますよという、きわめてビジネス感覚な動機付けて勉強をさせている。そういう子どもたちが「かさじぞう」を読んでどう受け取るのだろうか。

おそらく、おじいさんと地蔵の間で「交換」が行われたと考えるのではないか。それもおじいさんがすごい得をする「交換」が。得をする「交換」を行う能力は、近年、有能さのしるしのように受け取られている。なるべく少ない労働でより多くの利益を得る、なるべく少ない勉強でよりよい成績をとる、など。株で一儲けというのもこの考えである。そう考えると、おじいさんは極めて効率の良い「投資」をしたことになる。何せ、傘5つと手ぬぐい1本で米俵と野菜を山のように手に入れたのだから。

まさか、ビジネスチャンスはこういう形で訪れるのだという理解を小学生がするはずもない。しかし多くの小学生は、この話しはおじいさんと地蔵の間の「交換」の話しであり、おじいさんが結果的に「得をした」話しだと理解するのではないだろうか。

もともとこの話しはどういう話しだったのだろうか。ふと考え込んでしまった。おそらくこれは「交換」のは話しではないだろう。「交換」ではなく「贈与」の話しなのだろう。「交換」であれば、おじいさんが米俵を手に入れることは必ず必要になる。そうしないと話しとして成立しないからだ。「交換」を前提にすれば、米俵を手に入れることができないおじいさんはただの馬鹿者である。何のメリットもないことを楽しそうにやっている愚かものである。

しかし「かさじぞう」の話しにはちょっと違う雰囲気がある。地蔵がソリを引いて米俵と野菜を持ってこなくても話しは終われるような印象を受ける。地蔵に傘と手ぬぐいをかぶせ家に帰ったおじいさんは、おばあさんとこんな話しをする。

「お地蔵様が寒そうにしていたんで、傘と手ぬぐいをかけてきてよ。モチは買えなかった」
「モチがなくても、こうして元気ですからいいですよ。それよりよいことをしましたね」
「ああ、わしらも困ったときには、いろんなものに助けてもらった。知っている人や、知らない人。目に見えないようなものにも助けてもらった」
「そうですよ、そうですよ。今度はたまたま、おじいさんが助ける番だったんですよ」
「そうだな。大晦日によいことができて本当によかった。よい年が迎えられそうだ」
「さあさあ、冷えてきましたよ。明日はお正月さんです。もうねましょう」
そういって、おじいさんとおばあさんはすやすやと眠りました。

どうだろう。傘と米俵の「交換」がなくても話しは自然に終えられそうである。おそらく、おじいさんと地蔵の間で行われたのは「贈与」なのである。おじいさんは地蔵に傘と手ぬぐいを「贈与」する。そこでは「交換」による「利益」は全く期待されていない。だから、話しはここで終わることも可能である。また、地蔵がおじいさんに米俵や野菜を持ってくるのもおそらく「贈与」なのである。

相互の贈与はいっけん「交換」のように見えなくもない。しかしこれは一方向的な「贈与」が2度行われていると考えるべきである。なぜなら、どちらも自分が相手にものを与えるときに「等価」を意識していないからである。おじいさんは何のリターンも期待しないということで「等価交換」を求めていない。地蔵も傘と手ぬぐいには不釣り合いな多量の米俵や野菜を与えることで「等価交換」ではないことを示す。

「交換」を行うことで少しでも多くの「利益」を得ることを追求する世界に少しずつ綻びが出始めている。人間関係もギスギスしている。リターンしてくれそうもない地蔵は吹雪の中で凍えていればいいんだという雰囲気は、派遣切りで宿泊場所をなくした人たち(や世界中の不幸な人たち)を見る私たちの視線と同じだ。

「交換」が確約されなければ自分は何も提供しないというやり方は長持ちしないだろう。(そういう人はずっといるだろうけど)。自分の首に巻いている手ぬぐいくらいは「贈与」する、そういうことがこれからの課題になっていくだろう。
00:04:43 | tonbi | |