Archive for March 2009

30 March

長男と土手で走った


先週の金曜日、土曜日で鬼怒川に一泊旅行に行ってきた。子どもの春休みのイベント、実家で一人暮らしの母親へのちょっとしたサービス、そして走り疲れの筋肉疲労を少しでもとるために。道中、宇都宮美術館に寄った。美術館前には芝生の広場がひろがる。なだらかなアップダウンがあるとても大きな広場だ。(東京に住んでいる人間からすればということかもしれない)。小さな子どもを連れた母親の友だち同士がいるほか、誰もいない。思いっきり追いかけっこをする。子どもたちの足腰がふらふらになるまで、げらげら笑いながら一緒に走る。

平日の美術館とあって、ほとんど人がいない。バウハウス絡みの企画展もあったのだが、子どもたちのことを考え、常設展のみを見た。絵画、彫刻、工芸品、写真など合わせて100点前後の展示だったと思う。8歳の長男は美術館に少しは慣れてきたようで騒ぐこともなく絵を眺めたりしている。4歳の次男は「おれはぜんぶみたぞ」などとイスの上に寝ころんで騒いでいた。当然、係員の女性が次男の動向を目で追っている。仕方がないので抱き上げて、「この絵は何色の絵だと思う」とか「この絵にはリンゴがいくつある」とか質問しながら絵を見る。(というか自分はほとんど見られなくなる)。長男には「この絵を描いたのと同じ人が他にも絵を描いています。その絵はどれでしょう?」などとちょっと難しい問題を出したりする。

カンディンスキーの晩年の絵が3点ほど展示されていた。微生物を連想させる浮遊感の漂う絵画だ。いままで画集などでしか見たことがなかった。画集の印象とは違って非常によいものだった。画集で見るとちょっと神経症的というか、観念的というか、線が線を呼び込むような自然な流れが感じられなかったのだが、実物を見ると線が非常に生き生きとしていた。背景の部分がたんなる無の空間というよりも、エネルギーに満ちている豊かな空間のように感じられた。「生命」ということを描きたかったのかもしれないな、と勝手な想像をする。

鬼怒川温泉駅の周辺を車で走ったが、ほとんどお店が開いていなかった。閑散としている。もともと週末客を目当てにしているのかもしれないが、いちおう春休みである。駅前のロータリーにある飲食店まで閉まっているのには驚いた。不況の影響なのだろうか。宿に入り、ゆっくり温泉に浸かる。土曜日は龍王峡に行く。

閑話休題。さてさて、ウルトラマラソンまであと90日である。3月、4月、5月で1000kmのランニング、3月はとりあえず300kmというのが最後の追い込み目標である。そして本日、301kmを達成した。まずは3月の目標はクリアしたことになる。途中、ちょっときつかった。どれくらいきつかったかというと、早朝ランニングと雨の中ランニングをしなければならなかったくらいである。去年の1月ごろ、フルマラソン4時間を切るために1ヶ月200kmを目標にしていた時のことを思い出した。(あの時は本当にきつかった。泣き言をいいながら走っていた。)

距離は1.5倍になったがそれほどのきつさはない。実際はきついのかもしれないが、走ることに対してとてもホジティブになっている。土手を走る。強い風が吹く。以前なら、風がなければもっと楽に走れるのに、そう思っていた。いまは、おおこの風は厳しいな。でも同じ距離を走ってよりきつい状況にいられるのだからトレーニングとしてはお得だ、いいぞ、いいぞ、そんな風に思えるようになっている。実際、本番のレースは信じられないくらい辛いことが起こるだろう。何時間もそんな辛さの中を走ることになるだろう。それを切り抜けるためには、前もって同じような辛さをたくさん味わっておくしかない。辛さを減らす、とか、少ない労力でうまくやる、という思考法は走ることには役立たない。少なくとも僕にとっては。(辛さを減らしたり、労力を惜しむなら、走ることを辞めればよいのである。誰にも強制されていないのだから。)

今日は長男と一緒にランニング。長男が水筒などを持って自転車で伴走してくれる。25kmおよそ3時間かけてゆっくり走る。いろいろ話しをしながら。川が上流から下流に流れ、やがては海にゆきつくこと。季節によって土手を吹き抜ける風の向きが違うこと。柳の木々が緑の葉を揺らしていること。まず草木が緑になり、次に草木を食べる昆虫がやがて出てきて、その後に昆虫を食べるカエルが出てくること。自然のすごさや存在の不思議について話しをしながら。

何年もたったとき、僕も長男も今日のことを思い出すことがあるかもしれない。それどころかこのブログを書きながら、もう思い出を振り返る感覚になっている。晴れた空のした風を正面から受けて、坂道を自転車で一生懸命こいでいる長男の表情は僕の記憶の中にしかない。長男の記憶にはこの映像はない。同じように僕は自分が走っていたことを覚えているだろうが、自分が走っている映像は長男の記憶にしか残らない。僕の記憶は「長男と土手で走った」という言葉になるし、長男の記憶は「自転車で父親と土手に行った」という言葉になる。映像も違えば、言葉も違う。お互いに相手がいなければ、自分の記憶は成り立たないけど、自分の記憶は相手の記憶とはちょっと違う。でもそこで2人に起こったのは1つの出来事である。1つの出来事を少しずつ違った形で記憶する、そんな風にして僕らは生きているのかもしれない。




21:10:54 | tonbi | |

26 March

「所有すること」「捨てること」


鷲田清一の『死なないでいる理由』という本を読んでいる。もともといろんな新聞や雑誌に掲載した文章を集めたものなので、1つ2つ読んでは別の本に手を出すというふうに心地よく読んでいる。文章がとがっていない。滑らかである。桜の満開の中をゆっくりと流れる春の風のようである。心地よく読みながら、自分の文章の拙さを思う。

切り口はいくつもあるのだが、とりあえず「所有」について。「何かを所有することと、それを自分の好き勝手にできることは別のことではないか」というようなことが何度か出てきた。大切な感じ方だと思った。自分のものでも自分の好き勝手にはできない。例えば「私の子ども」という言い方がある。このときの格助詞「の」は、「私の財布」「私の知り合い」「私の欠点」のいずれの場合の「の」と同じであろうか。

子どもは天からの預かりものである、というのは学問上の師の言葉である。いずれ1人で生きていけるようになるまでの一時期、天から預かったものである。預かりものだからいずれ返さねばならない。自分の好みに合わせて好き勝手にいじり回して、預かった時よりもひどい状態で返すのだけは避けなければならない。

大学で仏教哲学を専攻していたので、「所有」については考えることが多かった。仏教では所有には否定的である。しかしそれは単に所有を禁止しているというだけではない。仏教ではそもそも所有が不可能であると考えている。所有するためには、所有する「主体」と所有される「対象」が別々に存在していることが前提となる。しかし仏教ではこのような「主体」と「対象」の明確な分離を前提としていない。(そのようなものとして現実を捉えている)。全体的な現実の出来事を言葉で切り分けていった時に、「主体」と「対象」が「所有」という関係で事後的に説明されているだけである。

ひたすら読書をしている時と同じだ。そこにはただ「読んでいる」という出来事があるだけだ。それを事後的に言語で説明すると「私」が「本」を「読んでいた」となる。「主体」と「対象」を「行為で関係づける」ように言語化するのは事後的な行為であり、出来事そのものを言い表すことはしない。だから言葉はつねに出来事に遅れてしまう。その遅れを仏教では「一切不可説」「一切不可得」などという。

言語と出来事のずれを違う形で示すのが、何かに気づいた時に人は完了形を使ってしまうということである。たとえば、背中のほくろの存在に初めて気がつくようなことである。何十年も生きているのに自分の背中にほくろがあることを全く知らずにいる。ある日鏡に映る自分の背中にほくろがあることに気づく。「ああ、こんなところにほくろがあった」と言う。ほくろの存在に気づいたのは「いま」である。いま気づいたということは、ほくろはその瞬間に初めて存在したことになる。にもかかわらず、「ほくろがあった」という言い方をする。私たちは何かを発見したり気づいた時に、「すでにそこにあったということにいま気づいた」という言い方をしてしまう。言葉と出来事のずれである。

大学の時、哲学の教授とゴミの話をした。ちょうど東京都のゴミ袋が半透明になったころである。(ゴミ袋が半透明になったせいで、その後、東京のカラスは増えることになった)。教授は、自分のゴミの中身が他人に知られることに非常に憤慨していた。「自分が何を捨てるのか人に知られるなんて耐えられない」と。その時、この人は「捨てる」ということを自由に出来ると考えているのだ、と思った。自由に捨てられるということは、その前提として所有を認めていることになる。自分のものをどのように扱おうと自分の自由である、そう考えていたのだ。

その時、「所有」と「捨てる」はセットになっているのだと実感した。「所有」の意識が強いほど、好きに「捨てる」ことができる。自分のものは自分の好きにできるからである。「借り物」を勝手に「捨てる」ことはできない。ものを大切にするにはそれが「借り物」であることに気づけばよい。子どもが預かりものであることを。この体がしばしこの世を生きるための一時的な借り物であることを。そうすれば子どもも自分の体も大切にすることだろう。

「捨てる」ということはそれほど簡単なことではない。「もの」であれば簡単に捨てることもできる。しかし自分に起こった出来事はそう簡単には捨てられない。村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』には、主人公が高校時代に初めて寝た女の子のことを書いた場面がある。「眠れぬ夜に、僕は時々彼女のことを考える。それだけだ」と。

同じ女の子のことが『ノルウェーの森』の中にも出てくる。大学に入り、上京する電車の中で彼女のことを回想する。「東京に向かう新幹線の中で僕は彼女のよい部分や優れた部分を思いだし、自分がとてもひどいことをしてしまったんだと思って後悔したが、とりかえしはつかなかった。そして僕は彼女のことを忘れることににした」と。そしてこの女の子は『国境の南、太陽の西』でイズミという女性となって、主人公にある種の復讐をする。その復讐とは、自分(イズミ)がつねに主人公の周りにいるのだということを主人公に思い知らせることである。

村上春樹個人に何があったかは別として、1人の女性が時間を超えて3つの作品に現れる。『風の歌を聴け』が1979年、『ノルウェーの森』が1987年、そして『国境の南、太陽の西』が1992年である。ほぼ14年である。忘れよう(=捨てよう)と思っている女性が、その存在をどんどん大きくしている。そして『国境の南、太陽の西』では、忘れること(捨てること)ではなく、イズミと正面から顔を合わせることによってある種の決着をつけることになる。

出来事を「捨てる」というのは難しいものである。自分の記憶だからといって、簡単にそれを捨てることなどできない。しかし考えて見れば、ものとの関わりも結局のところ自分の記憶である。その意味では、「捨てる」というのはものでも出来事でも困難なことなのかもしれない。「捨てる」が困難であれば、セットとなる「所有」も実は困難なことなのかもしれない。だからこそ、思い通りに「所有」できないことで人はいらついたり、失望したりするのかもしれない。


01:22:24 | tonbi | |

23 March

日々のこと


前回ブログをアップしてからすでに一週間。あっという間だ。この1週間、何があったのか備忘のために振り返ってみた。読み返してみたら完全な日記である。他人に読ませるのもいかがなものかと思う。変な言い方だが、暇な人だけ読んでください。

そうそう、先日ラジオで「これからは成熟社会になり、消費者も賢くなるから、いろいろクレームも厳しくなると思う。それに対応できるように企業も……」という発言を聞いた。これからの社会は消費者もしっかりしてくるから騙したりは出来ないぞ、という主旨のことを言いたかったのではないか、そう好意的に受けとめることもできる。でもやはりこの言葉の使い方は間違っていると思う。「成熟」や「賢さ」というものは「クレーム」とは遠いところにある。「成熟」した「賢い」人は、物事に問題がある時に簡単に「クレーム」は言わないものだ。問題点を説明したり、解決方法を考えたりするはずである。成熟した賢い親は、子どもにクレームを言ったりしない。成熟した賢い教師も、生徒にクレームを言ったりしない。成熟した賢い経営者や上司も、社員や部下にクレームを言ったりしない。事態をより良くするために自分のやることをきちんとやることが「成熟した賢さ」である。

いま思いついたが、「賢い消費者」と「賢い人」というのは内容的に違うものである。また「成熟した人」という言い方は出来るが、「成熟した消費者」という言い方はないだろう。つまり、消費者として主体性を立ち上げた場合、「賢い消費者」にはなれるが「賢い人」にも「成熟した人」にもなれない。言い方を変えれば、消費するためのお金がなければ存在の危機に曝されることになる。

3月17日(火)は、朝から夜までずっと仕事。7人のコーチングと1つの小さな勉強会と1つの研修をこなす。火曜日はいつもこんな感じである。休む間もなく仕事ができるのはある意味で幸せである。少なくとも自分が手抜きをしていないことが実感できる。ただ、こんなことを毎日続けていると「根本的に自分は間違ったことをしているのではないか?」と疑問に感じてしまう。人間というのは厄介な生き物である。仕事帰りに、知り合いのボクサーと試合前のミーティング。12時近くまで話をする。

3月18日(水)は、午前中は家で仕事。仕事といっても家事やら研究などをしている。洗濯物を干しながら効率良く作業を行うにはどうすればよいかを考え、『一遍上人語録』を読みながら個人の思考の問題点や限界について考える。昼前に30分ほどジョギングをし、午後から仕事に出かける。渋谷でミーティングやコーチングを夜7時すぎまで。その後、めでたく大学に合格したクライアントと東大教養学部の英語のテキストを読みながら、宇宙論や存在論などについて話しをする。私たちが宇宙に秩序を見いだしてしまうのは、宇宙そのものが秩序を内包しているからなのか、何かを理解しようとするとき私たちは秩序を見いだすという仕方でしかそれを理解できないからなのか、そんな話しをする。

3月19日(木)は、朝から夕方6時まで仕事。カウンセリング、コーチングが思ったより少なかったため、考える時間に当てる。仕事が詰まっていると手抜きをしていない感じになれると書いたが、そんな時間ばかりだといつの間にか現場の流れに巻き込まれてしまうことがある。私の仕事は、限りなく現場の当事者に寄り添いながら、その当事者の流れに乗らずに、違う視点からものごとを立体的に現成させることである。だからときにはじっと手を止めて考える時間が必要になる。手を動かす時には迷うことなく手を動かし、考える時にはきちんと手を止めて考える。いまが手を動かす時なのか考える時なのかを決めるのは決して〈私〉ではない。夜はボクシングの試合を見に後楽園ホールまで行く。残念ながら判定負け。その後、合気道のメンバーに荒川市民マラソンの報告に行く。

3月20日(金)は、家具の配置替えをする。狭い家の中でいっぱいに詰まった家具を移動する。器と料理の決まった幕の内弁当(かなり低価格)の配置替えのようなものである。部屋が狭いという根本的な問題の解決には繋がらないが、ちょっとした気分転換にはなる。子どもたちも部屋の中に「秘密基地」を作ったりして楽しんでいる。相方は子どもたちに「招待」され、ずっと丁寧語でもてなされたそうである。午後3時すぎから23kmほどランニング。いささか風が強い。わずか5日前に同じコースをフルマラソンで走っていたと思うと不思議な感じがする。わずか5日で柳の木がきみどりの葉をたくさん芽吹いている。きみどりの柳が風に揺れるのを眺めながら走っている土手の道を今日もまた。

3月21日(土)は、亡父の墓参りで東松山まで行く。家族4人と、母親と、弟夫婦の7人。風は強いが天気は良い。タンポポや雑草が思いのほ生い茂っている。草むしりをし、墓石を磨き、花を供え、線香をあげ、手を合わせる。ずっと歳をとらない父親の顔を思い浮かべる。あと10年もたてば僕も父親が亡くなった年齢になる。墓前で軽くおはぎなどを食べる。みなで実家に行く。(僕は途中から7kmほどランニングをする)。団らんをし、夕食を食べに行き、家に帰る。

3月22日(日)は、午前中に家事を軽く済ませ、土手まで75分のランニング。風が強く雨もぱらつき始める。東京マラソンはけっこう大変だろうと思いながら土手を走る。土手ですれ違ったランナーはたったの1人。天気のせいもあるだろうが、先週の荒川市民マラソンと東京マラソンの影響だろう。長男と図書館やドラッグストアに自転車で行く。こういう日常の何でもない用事の時間を共有するのはあんがい大事なのだろうなと思う。父親の買い物に付き合って、釘やネジを買いに行ったことや、お得意さん回りにつき合ってトラックに便乗したことを思い出す。父親のことを思い出すのは、前日の墓参りの余韻が残っているかもしれない。夜は早めに布団に入りゆっくり本でも読もうと思い、9時に布団に入ったら5分で眠っていた。疲れがたまっているのだ。

そして本日、3月23日(月)。7時ごろに目が覚める。久しぶりにぐっすり寝た。ぐっすり眠るというのはこういう感じだったというのを思い出したほどだ。月曜日は基本は家仕事。朝のうちに良い感じで家事をこなす。(9時半までは家事というのがルールである)。掃除、洗濯、洗い物をひと通り済ます。昼までは仕事の準備や研究。そして昼休みを長めに取り1時間半ほど土手でランニング。なんと風速20mである。さすがに逆風になると体が前に進まない。近ごろでは、この辛さはサロマ湖ウルトラマラソンではどの辺りの辛さだろうと想像するようにしている。そうすると不思議と辛い状況も意味のあるトレーニングに感じられる。午後も仕事の準備と研究。そして次男を保育園に迎えに行き、子ども2人を風呂に入れ、本を読んで寝かしつける。


22:21:56 | tonbi | |

16 March

カンディンスキーの「ざわめき」


美術展に行ってきた。渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている『20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代』である。チケットの有効期限があと少しなので、マラソン翌日の半休養日に決行した次第である。展覧会のタイトルの通りピカソとクレーの絵が数多く、「表現主義」「キュビズム」「シュルレアリズム」などのテーマに絡めて周辺の画家の作品が展示してあった。点数もそれほど多くなくとても見やすかった。何よりも月曜日の午前中とあってすいていた。見ようと思えば1つの作品の前でどれだけねばっていても大丈夫なくらいである。

会場に入ってすぐに、アンドレ・ドランの『コリウールの船』が飾ってある。ドランの絵はときどき画集などで目にしていて、色使いと筆致が気に入っていた。じっさい目にするとやはりよかった。鮮やかな青のグラデーションを粗い点描風に描くことで、空気の透明感、海の広がりと動きなどが感じられる。

ピカソはピカソである。キュビズムのところで展示が始まり、何点も飾ってある。悪い意味でピカソは素通りしてしまう傾向がこのところある。他に比べて混雑しているのと、他の作品にエネルギーを注ぎたいのと、しょっちゅう見ることができる気がしている、という理由からだ。実際、1998年の『ピカソ回顧展』で見た「サーベルを持つ銃士」(2点ある)が個人的には最高傑作となり、いまだにピカソに関してはお腹いっぱいの感じが続いている。

シュルレアリズムは、やはり今ひとつピンと来ない。なんと言えばよいのか、解釈しなくても分かった気になれそうだし、解釈すると面倒くさいことになりそうな絵である。自然に楽しめないのである。(もちろんこれは好みの問題である)。そんな中でも、ミロだけは別である。非常によい。線が線を呼び込むような自然な流れで全体が描かれている。音に合わせて体を自然に動かしていたらこういう絵になりました、というくらい自然な感じである。

クレーに関しては、今回はそれほどすごいと思う絵はなかった。(これもあくまで個人的な好みである)。ただ、クレーというのは本当にすごい人だなと、どの絵を見ても感じてしまう。天才なのだろう。必要なものはすべてある。無駄なものは1つもない。それぞれの線がなくてはならないところにある。その線を描くのに迷いがない。そして繊細である。それぞれの色や線が好き勝手なことをしないように頭がコントロールしている。頭は使っているが観念的ではない。指揮者のようだ。オーケストラのメンバーをまとめ演奏はするが、それは作曲家が作曲したものである。クレーの絵の完成度の高さからはそんな感じがする。(ということを初めて言葉にしてみた。いい加減である)。

そしてカンディンスキー。僕はカンディンスキーがとても好きである。画家としては明らかにクレーの方がすばらしい。そのことは百も承知である。でも、カンディンスキーが好きなのである。ときどき「カンディンスキーの絵はよい」と客観的な事実のように語ってしまう。しかし個人的な好みである。(僕の奥さんは、カンディンスキーは口うるさい男だと思う、と言っている。ちなみに彼女はクレーが大好きである。)クレーの方が素晴らしいと分かっていながら、カンディンスキーの方が好きなのである。好みというのは個人的なものである。誰もが才色兼備の女性に魅かれるとは限らないのである。そして好みのものはよい、あばたもえくぼ、である。

今回、3点ほどカンディンスキーの作品が飾ってあった。「エドウィン・R・キャンベルの壁画No.3のための小習作」「同No.2のための小習作」「無題 即興?」である。いずれも1914年の作品、カンディンスキー48歳ごろである。この頃のカンディンスキーの作品は色と形がダイナミックに運動している。その運動をとめないまま画面に描こうとしているかのようである。3作品の前でしばらく佇み絵を眺めていた。頭を空っぽにしてずーっと眺めていた。「ざわめき」という言葉が降ってきた。ああ、カンディンスキーのこれらの絵からは、「ざわめき」のような音が感じられるのだ。そう考えると1920年代の作品からはある種の静謐さのようなものが感じられる。

ここまで来て、「絵を描くというのはどういうことなのだろう?」という根源的な問いが浮かんでくる。そしてキーボードを叩く手がはたと止まった。(すぐに答えが出るはずなどない)。言葉を書くというのとは何が違うのだろう。言葉についてはとりあえず2つのことが言える。言葉とは動いている世界を切り取りその動きを止めてしまうものである。だからつねに言葉は世界からズレていく。これが1つ。もう1つは、言葉は実際には目の前にない出来事や物事をその場に立ち現すことができる。その意味では言葉は世界を創り出すもの。直観的だが、絵画にも(そしてあらゆる芸術にも)、世界の動きを止めるはたらきと、世界を創り出すはたらきの2つが具わっている気がする。(時間があればゆっくり考えてみよう)。

ミュージアムショップでカンディンスキーの分厚い画集を買う。200ページ近くあるしっかりした画集だが特別プライスでなんと1995円。そういえば今日は自分の誕生日であった。プレゼントである。



21:31:56 | tonbi | |

15 March

荒川市民マラソン


今日は荒川市民マラソン。朝5時20分に目覚ましをセットしていたが、5時15分に自然と目が覚める。よい状態だ。布団の中で10分ほどうとうとする。心地よい。ベランダに出る。まだ薄青い明け方の空。空気もざわついていないし、街もシンとしている。モチを3つほど食べてシャワーを浴びる。ストレッチを丁寧にしながら、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を読む。このところ、マラソンの前にはいつもこの本を読むことにしている。

7時半に家を出る。今回、知り合いは誰もエントリーしていないので、会場まで10キロほど1人で自転車に乗り、「ゆらゆら帝国」を聞きながら土手を走る。穏やかな天気である。北からのゆるい風が吹いているが気にならない。太陽の光には力がある。昼頃には大分暖かくなることだろう。エントリーをし、着替えを済ませ、トイレに並び、スタートラインに立つ。

いつものように、スタート1分前くらいからちょっとした緊張感がやってくる。スタートの合図とともに起こる拍手。ゆっくりと走り始める。まずは自分が何か追われ逃げるために走るのでもなく、銃をもって人を追うために走るのでもないことに感謝する。最初の5kmはいつも意識的にペースを抑えるようにしている。レース中で一番ペースが遅い時間帯を最初の5kmに持ってきて、その後は体にまかせてペースを上げ、基本イーブンペースで走るというのがいつの間にか身に付いた僕の走り方だ。

5km27分、それほど悪くない。だが体が少し重い。体を絞りきれていなかったのだ。予定より2kgほどオーバーしている。これではあまりよいタイムは期待出来ないかもしれない。10km53分、ペースはほとんど変わらない。おまけに10km過ぎからは右大腿部の裏側が肉離れの兆候のアラートを出し始める。騙しながら走り続け、何とか肉離れを押さえ込む。それでもハーフの折り返し地点を1時間49分で抜ける。単純に2倍すれば3時間38分。自己ベストを更新出来る。しかし、折り返したと同時にわずかではあるが向かい風に変わる。条件は良くない。

向かい風にも関わらず、ペースは落ちない。それどころかわずかに上がっているかもしれない。ほぼ1km5分のペースで走りつづける。集中するためにじっと地面を見ながら走った。地面がすごい速さでどんどんと前から後に流れていく。単調な映像だが見ていてもあきない。面白いものだなと思う。雨降りや、打ち寄せては引いていく波をずっと眺めているのと同じような感じだ。太陽が背中から照りつけ、自分の影が目の前に見える。自分を追いかけるように走る。自分はいつもちょっとだけ先にいて、決して追いつくことが出来ない。いや、僕を導いてくれているのかもしれない。地面がどんどんと流れていく。アスファルトの模様が亀の甲羅のように見えてくる。ずっと見ているとトリップでも出来そうだ。

あるいはトリップしていたのかもしれない。気がついたらもう38kmを過ぎている。(ちょうど、タイガーマスクを追い抜いたのだ。マラソン大会にはいろいろな仮装をした人が走っている)。もう38kmか、さっきスタートしたばかりだ、そんな感じがした。もちろんそれなりに体は疲れているのだが、基本的には同じペースで走りつづけているし、息もまったく上がっていない。時計を見ると3時間14分。ずっと1km5分のペースで走りつづけていたことになる。このまま行けば自己ベストを更新出来る。

ゴール手前では僕を探している相方と子どもたちを見つけ、コースの端まで走っていき、子どもたちの頭をなでる。速く走るからね、そう言ってラストスパートをする。マラソンを最後までイーブンペースで走る人は少ない。僕はイーブンペースで走り、その上ラストスパートをかけているのだから、ごぼう抜きである。ふだん、家族に迷惑をかけ走りまくっているのだから、これくらいのところは見せなければならない。

3時間34分台でゴール。いつものように振り返ってコースに一礼する。どうもありがとう。文句なしの自己ベストである。走ることに関する僕の目標は3つ。ウルトラマラソンの完走、フルマラソン3時間30分以内、そして死ぬまでにフルマラソン以上を100回走る。正直、今回のマラソンで3時間30分以内を狙おうかと思った時期もあったが、1年に2つも目標にすると、二兎を追う者になりかねない。楽しみは来年にとっておくことにした。

会場のブースで家族でラーメンを食べ、のどかな春の土手をみんなで自転車に乗り家路に着く。そしてビールを飲みながらこのブログを書いている。マラソン後すぐにブログを書けるなんて自分でも驚きである。そうそう、今回実感したことがある。自分はウルトラマラソンに挑戦できる。完走できるかどうかは分からないが、挑戦できる資格を手に入れた。そう実感した。ウルトラマラソンまであと105日。明日からまたトレーニングである。なんだかいい感じである。


17:13:58 | tonbi | |