Complete text -- "お金の話を子どもとする"

20 February

お金の話を子どもとする

公園で遊んでいた小学校1年生の息子がどたどたと家に戻ってきて、母親に「100円ちょうだい」といっている。なぜ、と尋ねる母親に、見張り番がどうのう、と意味不明なことを答えている。お金を持って遊ぶのはまだ早いよ、そう言われ、あきらめて海で拾ってきた流木を2本もって玄関を出ていく。「木ならいいといわれた」そう言う愚息に、友達は一言「だっせー」。そうは言うものの、公園に木を持っていき、2人で何やら楽しく遊んだようである。

子どもにお金をどのように与えるかはけっこう難しいものである。買いたくなるようなものは山のようにある。小学校1年生とはいえ、お小遣いを持ってきて、駄菓子を買ったり、ガチャガチャをやっている子どもいる。そういう中で、1人で我慢しろと言うのは、親としてもそれほど心楽しいものではない。子どもが納得するような答えはなかなかないのだろうな、などと思いながらやり取りを見ていた。

その日の夜、たまたま愚息と話をする機会があった。ちょうどよいので、僕のお金についての考えを話した。まず、友達と遊ぶときにお小遣いを持っていくのはまだ早いと思うときっぱりと伝える。もちろん、家からおやつを持っていくことは構わないし、そのおやつを買うことにも異存はない。それにお祭りなどの特別なときに、友達と遊ぶならお小遣いをあげることもあるだろう。でも、日々の遊びにお小遣いを持っていくのはまだ早い。

お金を持っていることで巻き込まれるさまざまなトラブルを避けるため、という理由もある。しかしそれ以上に大切なことがある。それは、お金なんかなくても楽しく遊べる、ということだ。お金なんかなくても楽しいことを発見できる、そういう技術は子どもの時にしっかりと身に付けなければならない。(結局は流木で楽しく遊んだように。)

子どもはほうっておいてもやがて大人になる。大人になれば、好むと好まざるとに関わらず、ある程度はお金と付き合っていかなければならないし、お金のことを考えねばならなくなる。お金とのつきあい方は大人になってから考えれば良い。子どものうちは、お金とのつきあい方ではなく、お金なんてなくても十分に楽しめる、そういう原体験を積み上げることが大切なのだ。

お金がないと楽しめない。そんなふうになると、自分がお金をもっていないと友達と遊べなくなる。あるいは、お金を持っていない友達とは遊べなくなる。そのうちに、友達よりも友達の持っているお金の方が大事になってくる。(それはすでに友達とは呼べない。)

お金がないと楽しめない。そうすると、いやなことでもお金のためならやるようになる。やりたくないこと、恥ずかしいこと、本当は間違っていると分かっていること、そんなことをやらないと生きていけないような気がしてくる。

お金を使っているつもりが、いつの間にかお金に使われるようになってしまうのだよ。それは本当にひどいことなのだと僕は思う。そんなことを愚息に話す。とりあえずは納得したようである。それでもきっと、これから何度も何度も、そういう話をすることになるのだろうと思う。
00:51:34 | tonbi | |
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