Complete text -- "『日本の行く道』を読む"

24 February

『日本の行く道』を読む

橋本治氏の『日本の行く道』(集英社新書)を読む。もやもやとした問題にくっきりとした輪郭を与える際の手際のよさと、分かりやすい話を積み上げながらも読者を飽きさせない語りの巧みさは相変わらずである。

この本は、近ごろの日本は何か変だよね、というところから始まる。その日本の変さを、地球温暖化という世界的な枠組みの中に放り込み、日本の問題を解決することが世界的な問題を解決することに繋がる。そんな風に話を進めていくのである。

地球温暖化の原因が人間の活動によるならば、それは18世紀末にイギリスで起こった産業革命に端を発する。産業革命以後の社会は、石炭・石油という化石燃料を燃やすことで得られる動力によって支えられている。その際、地球の温暖化を促進する「温室効果ガス」と呼ばれる二酸化炭素が排出される。こんなことが200年ばかり続いた結果が地球温暖化である。

簡単に解決できる問題ではない。誰かが悪いと犯人を捜し出せばすむことでもない。「エアコンの設定温度を28度にしましょう」と言っても、今後、世界中の後進国がエアコンを使用し28度に設定するとすれば、結局は温暖化は進む。どうすればよいか?橋本治の答えは簡単である。

産業革命以前の社会に戻れば良い、である。それが現実的でないと言うなら、「1960年代の前半に世界を戻せ」というのが答えである。産業革命以来、世界の平均気温は微妙に上昇してきたが、1960年代からは明白な上昇に変わる。だから、その手前に戻せば良い、というのだ。

ちなみにその当時の日本には、飛行機は飛んでいるし、新幹線だってかろうじて走っている。東京オリンピックもある。けっこういろなんものがあるのだ。何がないかと言うと、超高層ビルがないのである。超高層ビルがないと温暖化が……、話はこのように進みます。

この本を読んで2つのことが頭に浮かんだ。1つは、「問題の捉えかた」である。もう1つは、「豊かさ」とはどういうことか、である。

何か手を加えねばならい事態が生じること、それが「問題」である。その問題が何であったのか、実のところ、それは問題が解決したときになって初めてわかるのである。多くの場合、私たちは「問題」に取り組んでいるつもりのとき、問題の真の姿を見てはいない。「やま」を張って取り組みながら、その「やま」が正しいかどうかの確認をしているのである。

たとえば、山道で車が脱輪して引き上げるのに半日もかかったよ、というような話を聞くことがある。確かに事故の発生から、それが収集するまでには5時間がかかっている。ところが実際、車を引き上げるのは電話でしかるべき手配をして、専門車両が来て、現場で引き上げるのに1時間半しかかかっていなかったりする。

それまでの間は、自分で車を引き上げようと、バックでアクセルを踏み込んだりする。次は、毛布や木片をタイヤの下にいれて試したりする。家族に電話をして応援に来てもらって、同時に引っ張ってもらったりする。いろいろな取り組みをしている。しかし、結局うまくいかない。そして結局、専門の業者を呼んで解決する。

言い方は悪いが、1時間半ですむことに5時間かけている、と言うことは出来る。結局のところ、目の前で起こっていることを「どのような問題」として捉えているかなのだ。最初は、簡単にすむ。次は、ちょっと頑張ればすむ。さらに、家族に頼めばすむ。最後に、業者に頼まねばならない。目の前の事態は変わっていないが、その捉え方が変わってくるのである。

「地球温暖化」が、産業革命以前に戻さなければ解決がつかないほどの問題なのか。専門的なことは僕にはわからない。ただ、私たちの社会には、できる限り問題を「矮小化」しようとする傾向がある。その方が、解決にコストがかからないからだ。ところがその結果、より負担が増してしまう。あるいは、簡単に解決できるときには、何故か解決に向かおうとしない、という傾向がある。いつでも出来ることを今やるのは、時間の無駄だと思うからだろうか。

その意味では、橋本治が「1960年代前半に世界を戻せ」というのは、それが方法として正しいのかではなく、問題の捉え方として正しいのかを、問うべきものなのだろう。1960年代前半に戻すか否か、ではなく、1960年代前半に戻すくらい大掛かりなことをしないと手に負えない問題なのか、そういう問い方をしなければならない状況なのだなろう。(そしてこう言った思い切りの良い問いの立て方は個人的には好きである)

もう1つ、「豊かさ」について。本の中にこうある。『人は「豊かさ」によって自由になり、自由になって「豊かさ」を求め、その結果、「豊かさ」に翻弄され、「豊かさ」を失います。』

産業革命以後の社会が求めているものは「豊かさ」である。そしてその社会は地球温暖化へ向かっていく。とすると、「豊かさ」を求めることと地球温暖化へ進むことは1つに重なる。地球温暖化をとめる方法の1つとして「豊かさ」を捨てるという選択肢が出てくる。当然、そういう論理になる。

「豊か」であることが悪いかといえば、そんなことはない。問題は、何が「豊かか」を、一度も立ち止まってじっくりと考えた経験もないまま、「豊かさ」を追い求めていることではないか。食べ物もなく飢え死にするような人がいる状況から、食べ物に困らない状態になる。これは「豊かになった」と言える。では、テーブルの上に食べきれないほどの食べ物を並べ、好きなものだけ食べ、余ったものは捨てるくらい経済的な余裕がある。これは「豊か」ということになるのだろうか。

もちろん多くの人が、後者を「豊か」と呼びはしないだろう。ただ厄介なのは、この社会を成り立たせている消費主導の経済活動においては、使えるものを捨てて新しいものを買うことが、社会を豊かにすることであり、個々人を豊かにすることなる、そうなっているのである。そして、この社会で仕事をし、生活をすることは、そういうサイクルに巻き込まれることを意味する。

自社の製品を買わずに、まだ古いものを使ったほうがいいですよ。そう言うために、新製品の開発をする人もいないだろう。開発が大変であればあるほど、その商品が売れることは嬉しいだろう。販売でも同じであろう。お客さん、今もっているもので済ましたほうがよいですよ、とは言えないだろう。そうして稼いだお金で、欲しかった新しいものを買う、これも悪いことではない。

厄介なのは、個々人の「もったいない」という感覚と、この社会のあり方にズレが生じているのだ。社会から落っこちないようにするには、個々人の感覚を押さえ込み、消費主導のサイクルに身を任せねばならない。押さえ込めない人間は、引きこもったり、精神的に病んだり、自ら首をくくったりする。

そんな社会が産業革命以後の社会であり、地球温暖化に繋がる社会だとすれば、確かにそろそろ考え時である。僕はよく思う。ものをたくさん持っている人間が豊かなのか、ものがなくても平気な人間が豊かなのか、どちらだろう、と。
22:24:03 | tonbi | |
Comments

decocool wrote:

今日はというか、お久しぶりです。
このエントリーは、「取り上げている橋本氏の著書は何だかボミョーな本だった」という結論の話で正しいでしょうか?

未読で恐縮ですが、記事に書かれている限りでいえば、確かに乱暴な問題設定と結論付けを行っている本のように思います。橋本氏の仰る「最近の日本は〜」は実に愚問であって、単なる懐古的感傷の域を出ないものであると思います。地球温暖化についての橋本氏の提言は、その問題について調べるまでもなく、トンデモだと頭を抱えるようなものだと思うのですが、ともかくこの本と絡んでいるより、実際に温暖化のシステムと具体的に可能な対処法について調べてみる方がずっと有意義かと思います。笑。

ところでとんびさんは、「世界の終わり」とはどういうものだと思いますか?
03/09/08 09:59:19

tonbi wrote:

お久しぶりです。とありますが、正直、どなたか分からなかったのでコメントを返せないでいました。分からないまま、一般的な答えをします。2点あります。

1、橋本氏の本については、僕は個人的には評価しています。しかしそれは、彼の提示している対処法が具体的で有効であるからではありません。おそらく、不可能なことを述べていると思います。しかし彼はそのことを分かった上でやっていることと思います。(僕の想像ですが)理由は、現在の日本(と世界)の問題は、いま私たちが出来る範囲で対処していてはダメなんじゃないか、ということを提示するためではないかと考えています。

2、ブログに書いてあることは、あくまで私が『日本の行く道』を読んで感じ、考えたことです。あの少ない記事で本一冊をきちんと紹介することは決して出来ません。やはりご自身で一度読んでみることをお勧めします。

では。

「世界の終わり」については全く考えていません。これから先も考えないと思います。考える機会が来て、書くほどの内容を考えられれば、書く事にします。
03/15/08 10:16:23

でこくる wrote:

あー、とんびさんの先輩にあたる女性の方と同姓のアフォ後輩です笑。年賀状のURL辿って伺いました。
こちらのURLも年賀状に記載してあるます。

拝見したところ論述ブログなさってて、ちょっとゼミの雰囲気とか思い出してなつかしかったので、無駄なツッコミを入れてみたのですが、レスがとんびさんらしくてとてもほのぼのしました。ありがとうございます。

ほのぼのついでに。
最後の質問は、この記事全体におけるとんびさんの結論を伺いたく書いたものだったのですが、特に現時点では「現在の日本(と世界)の問題は、いま私たちが出来る範囲で対処していてはダメなんじゃないか」という問題提起に対するとんびさんなりの結論はお持ちではない、ということで桶でしょうか?
ちなみにブログ等での紹介記事は、対象物について言うならば確かに紹介記事に過ぎないと言えると思いますが、紹介者の視点というか意図については記事として完結されている文章だと捉えています。なので、あくまでとんびさんの記事に対する感想を書かせて頂きました。
橋本氏の御本は、記事を拝読した限りあんまり面白く無さそうなので、機会があったら読もうと思います。具体的には漫画『PALM』シリーズの『愛でなく』の環境会議と双璧をなすものハケーン、といった感じです。笑
03/17/08 00:16:11

tonbi wrote:

あらためて、久しぶり。
コメント、ありがとう。

「今出来る範囲での対処ではダメか」ということに対する僕の考えを簡単に書きます。今回は、個人を意識しての答えです。

言葉をきっちり使うなら、私たちは「出来ること」は出来るが、「出来ないこと」は出来ないのです。その意味では、どんな言い方をしても、私たちには出来ることしか出来ない、ということになります。

ところが、これを現実の世界において考えると、少し様相は変わってきます。「出来る範囲」という言葉でそれぞれが何を考えているか、という問いになります。

たとえば、自分の生活は基本的には何一つ変えない。その上で余裕がある部分に関して何かをする。これを「出来る範囲」ということも出来ます。

一方で、自分の生活を変えることを「出来る範囲とする」と言うことも出来ます。車生活中心の人間が10km範囲内は自転車を使うようにする、とかです。

「出来る範囲内」という言葉はそれ自体は正しいものです。僕も最終的には出来る範囲でやるしかない、という言葉を使うでしょう。(個別のケースでは違う物言いになることもあります。)

その上で、現状を総体と捉えた時、「出来る範囲の対処で大丈夫か」と問われると微妙です。おそらく、総体の流れとしては、基本的には自分の生活を変えずに、テクノロジーによって問題解決を図っていくとい方向に向かうと思います。

僕はテクノロジーに関しては専門家でないので、きわめて直観的な意見しか述べられませんが、テクノロジーで逃げ切ろうとしても結局ダメだろうと思います。

でも、決定的なダメージには至らない。テクノロジーでは逃げ切れず、問題点が世界の弱いところに集中して現れ、それがある程度の規模に達した時、テクノロジー以外の何かが必要になるとの認識が多数になると思います。

では、何が必要か。「小欲知足」がその1つと言ってもよいかもしれません。

では。
03/17/08 16:49:12

でこくる wrote:

ステキなおしらせです
http://promotion.yahoo.co.j...

これで「地球温暖化」問題も楽々早わかり!
…なわけねーつの。笑。
04/05/08 22:53:15
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