Complete text -- "あと24時間"

27 June

あと24時間

 僕たちはビールの空缶を全部海に向かって放り投げてしまうと、堤防にもたれ頭の上からダッフル・コートをかぶって一時間ばかり眠った。目が覚めた時、一種異様なばかりの生命力が僕の体中にみなぎっていた。不思議な気分だった。
 「100キロだって走れる」と僕は鼠に言った。
 「俺もさ。」と鼠は言った。

村上春樹『風の歌を聴け』の冒頭の僕と鼠が知り合うシーンだ。20年以上も前に初めて読んだとき、「100キロなんて走れるものか」と思った。
その100キロを走ろうとしている。

 牛飼いダニヤがいった、
「わたしはもう飯を炊き、乳を搾ってしまった。マヒー河のほとりに、わたしは(妻子と)ともに住んでいます。わが小屋の屋根は葺かれ、火は点されている。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
 師は答えた、
「わたくしは怒ることなく、心の頑迷さを離れている。マヒー河のほとりに一夜の宿りをなす。わが小屋(すなわち自身)はあばかれ、(欲情)の火は消えた。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

『ブッダのことば』(中村元訳、岩波文庫)の一部である。走りながらこの言葉を転がしていたら、こんなフレーズが浮かんできた。以来、折りに触れて走りながら思い出している。

 ランナー野口はいった、
「わたしは十分な距離を走り込み、休養も取れている。サロマ湖のほとりで人々とスタートを待っている。集中力も高まり、ストレッチも済ませた。神よ、もしもウルトラマラソンをスタートさせようと望むなら、いつでもスタートさせよ。」

明朝、5時に(あと24時間後だ)ウルトラマラソンはスタートする。

今年の3月ごろ、ランナーとして自分のレベルが1つ上がったと実感したことがあった。その時、自分はサロマ湖ウルトラマラソンにチャレンジする資格を手に入れたと確信した。(完走できる気がしたわけではない。あくまで参加する資格を手に入れたということだ)。その時、ある言葉がやってきた。こういうものだ。

「自分はサロマ湖100キロで命を奪われることはないだろう。でも自分は命を持っていかれても構わない覚悟で100キロを走ることが出来る」

自分の持てるすべてを一点に集中する。命がけというのは簡単に命を投げ出すことではない。右足を出し、次に左足を出す。ただそれだけのことにすべてを注ぎ込めることだ。

じゃあ、ちょっと走ってきます。

04:51:02 | tonbi | |
Comments

こいしま wrote:

100kmマラソン、行ってらっしゃい!
100kmなんて、想像できないけれど、先日私にも想像できないことが…なんて単に長女が六歳を迎えただけです。
六年間、同じ日々を積み重ねているつもりでも長女は去年成し得なかったケーキの上のろうそく消しを見事、やってのけました!!すごいなあ…大きくなってるなあ…
時間を共にすごしていくのは、とても単純で、でもとても感動的ですね…うまい言葉が見つからない。
ともかく100km完走、楽しみに待っています!
06/27/09 22:21:18

tonbi wrote:

どうもありがとう。何とか走りきることが出来ました。とても楽しかったですよ。道が1本しかないというのはとてもよいことです。自分でなにかをはからう必要がないのですから。道は1本でも風景も変わるし、隣を走るランナーも変わります。本当にいろいろなことがあるのです。嬉しくて踊り出したくなるくらいです。
元気そうで何よりです。もう6歳ですか。早いものですね。
07/03/09 09:16:03
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